バルキージョ2012年08月01日

バルキージョ
NHKでマドリードを紹介していたが,その中に,「バルキージョ」という焼き菓子を作るシーンがあった。
小麦粉と砂糖を水と油で溶いて,直径が30cmほどの格子が入った焼き型に流し入れ,上下を合わせて焼くものだった。
その焼き型を見て「あ,これだった」と思い出した。

子供の頃,母が良くこの型を使って同様の菓子を焼いてくれた。
バルキージョは焼いてすぐ,まだ柔らかいうちに折り畳んだり,棒に巻き付けたりしていたが,我が家では丸いまま,おせんべいの様にかじっていた。

祖母が昔菓子を作って売っていたと聞いたことがあったが,他にもワッフルの型があった。
どうしてそんなしゃれたものが,60年近くも前の我が家にあったのかは,今ではなぞだ。

写真はテレビも番組紹介から。

生ハム熟成中2012年08月03日

生ハム
6/29に塩漬けを開始した生ハムは,本日,4回目の脱水シートを交換。
水分は-21%なので,-30%になるまで,脱水シートを交換する予定。

次回の交換は一ヶ月後。

佃島・住吉神社例大祭2012年08月06日

神輿巡行
佃の祭りに行ってきました。東京都・中央区,佃煮の佃島です。私の生まれは隣の月島ですが,住吉神社の神輿が巡航します。本来は昨年でしたが,震災で自粛。
自分はキリスト教教会の敷地内で生まれ育ったので,子供の頃は神輿を担いだことはありませんでした。成人してから,友人の計らいもあって,何回か担いだことがありました。今年は見るだけです。

4日夕方,友人のS君宅に,幼なじみが14人も集って,ちょっとした同窓会になりました。S夫人は料理上手で,この日は私の大好きなレバー・フライを沢山作ってくれました。ビールがどんどん進んで,すっかり楽しい気分に。

#宿は築地の魚河岸近くにとったので,夜遅くまでわいわいがやがや。友達って良いものですねぇ。
#写真は翌日の神輿巡行。もんじゃ焼きで有名な商店街を練り歩くのです。

レバー・フライ2012年08月06日

レバー・フライ
S夫人が作ってくれたレバー・フライ。豚レバーだ。ソースが決め手で,「ユニオン・ソース」でないとこの味にならないのだそうだ。下町ならではのローカルなウスター・ソース。
S夫人は料理上手。酒のつまみなどは数分で何品も作る位は当たり前。S君がうらやましいのだ。

隣の皿には,やはりS夫人が作ってくれた「そば入りもんじゃ」。これも美味い。ビールが進んだ。

イワシ丼2012年08月07日

イワシ丼
今夜は鈴木水産のマイワシを使った「イワシ丼」。家内は酢飯にしてくれました。
昨日,築地・魚河岸で穴子丼を食べた時,酢飯だったので,こういうものは酢飯がいいねぇと云っていたので。

ジャック・ダニエルのハイボールと共にいただきました。美味・・

鶏ササミの薫製・準備段階2012年08月08日

スモーカーの棚増設
ササミは2パック,549gあった。従ってレシピは,
酒24cc
味醂24cc
醤油46cc
砂糖少々,
ショウガ,ニンニクの摺り下ろし適宜。

ササミはフォークで穴を沢山あけてから,ジップロックに入れた上記漬け汁を良く揉み込む。
冷蔵庫で二日間放置。
薫製器は上部の棚を一段増設。もう一段増やしても良いかも。

今日は他に,チリメンジャコ2袋を,チリメン山椒にした。
それと,叩き牛蒡のきんぴら。

#食べたいものはなるべく材料から調理。

鶏ササミの薫製・下ごしらえ2012年08月10日

ササミ
二晩漬け込んだササミを,ボウルにとって真水で満たす。3回水を替え,20分ほどそのまま塩抜き。少し切って味見。ちょっと薄味か?水を4回替えるだけでも良いかもしれない。次回の参考に。

ペーパータオルで水切りしたあと,ピチット(レギュラータイプ)に包んで,真空パック。
一晩置いてから,いよいよ薫製。

薫製器の改造2012年08月10日

棚を追加
棚板を追加して,上4段は手前へ引き出せるように,桟に切り込みを入れた。3段から5段に改造した。

熱源に近いと温度が上昇しやすく,前回のササミは乾燥しすぎてパサパサになってしまったので,今回は上段で薫製する予定。

ササミの薫製2012年08月11日

ササミの薫製
サクラのスモークウッドでスモーク4時間,65℃で風乾30分。
良い色に仕上がった。

量的にはこの2倍あっても良い。次回はそうしよう。今回は,たまたま2パックしか店に無かったので。

娘に持たせるように小分けして真空パック。すぐ食べる分はジップロック。

読んだ本「ジョン万次郎」2012年08月27日

ジョン万次郎
新聞の紹介記事を見て,Amazonから。
ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂 [単行本]
マーギー・プロイス (著), 金原 瑞人 (翻訳)

高知に行った時に,高知城だったかで多少の資料を見たことがあった。
万次郎には以前から興味があったので,楽しめた。
創作も交えてだが,様々なエピソードは史実に沿っているという。
難破から捕鯨船に救助され,米国で教育を受け,日本に戻ってからは山内容堂に士分に取り立てられるまでを主に描いている。その後の活躍に付いても短く触れている。

それにしても,なんと奇遇な生涯だろうか。
万次郎の持って生まれた気質もあるだろうが,彼を養子としてそだてたホイットフィールド船長の偏見の無い高潔な人格が,彼の生涯を決定づけたと言えよう。

米国では彼の伝記が出版され,名前や業績は良く知られているという。
1976年,米国建国200年を記念して,スミソニアン博物館で「海外からの米国訪問者展」が開かれたとき,米国を訪れて後,自国に戻りアメリカのことを紹介した外国人29名のうち,ドボルザーク,ディケンズ,プッチーニと並んで唯一,日本からは万次郎が選ばれている。

#私が生まれるわずか100年程前はまだ江戸時代だったことを,何か不思議に感じる。