タカの渡り観察 9/192013年09月19日

結果
10時以降は,灰色のガスが低く垂れ込めてはいたが,房総半島が見え始めた。

7時台のサシバ2羽の渡りは,前日に入っていたものが飛び立ったものと思われる。
他に,ツバメ5,エゾビタキ2

読み終えた本「安井かずみがいた時代」2013年09月19日

安井かずみがいた時代
島崎 今日子 (著) 384ページ
出版社: 集英社 (2013/2/26)

興味があった女性だった。雑誌などで紹介された加藤との暮らしぶりは,その時代としては飛び抜けてスマートで贅沢なものだった。安井かずみの名前もその時に知ったというか,意識した。確かに彼女が訳詞した海外のポップスは「ヒットパレード」などでなんとなく知ってはいて,作詞した歌謡ポップスもだが,多少距離を置いていたので,この本を読んで,「あ,あの曲も・・」と知った。
安井の親友だったコシノジュンコが青山にブティックを開いた時も,彼女が良く行ったという赤坂に「ムゲン」が開店した時も,貧乏人の自分には無縁の世界で,行ったことはなく,そばを通った程度だがよく知っていた。憧れの様なものがあった。
雑誌に載った二人は,なんてカッコいい夫婦だろうかと思った。この本ではその裏側も知ることとなる。
六本木の「キャンティ」で,加賀まりこ,コシノジュンコ等と遊んでいた時代と,加藤と結婚してからは,それまでの交友を断つ様にして二人で暮らし始めたというギャップは何だったのか。二人で演じた「理想の夫婦」は,エドワード八世とシンプソン夫人を思わせる「仮面夫婦」だったのかもしれない。
贅沢の限りを尽くした様に見える彼女だが,肺ガンで55歳で亡くなる最後の年は,読んでいて切なくなる。加藤は良く尽くして最後を看取ったが,その前にすでにオペラ歌手の中丸三千繪と交際していた。一周忌を前に再婚。安井のものは写真も衣類も家具も全部捨てたという。そして中丸とその家に住んだ。5年後に離婚。その9年後に加藤は軽井沢のホテルで首つり自殺。それもまた切ない。

内容紹介
「わたしの城下町」「危険なふたり」「よろしく哀愁」etc.今も歌い継がれる名曲の数々を世に送り出した作詞家・安井かずみ。御茶ノ水の文化学院在学中に訳詞家としてデビュー後、作詞を手がけるようになり、65年「おしゃべりな真珠」で日本レコード大賞作詞賞を受賞するなど、超売れっ子の作詞家として活躍した安井は、77年にミュージシャンの加藤和彦と結婚。それまでの華やかでスキャンダラスな生活から一転して家庭に入り、マスコミから理想のカップルと称揚される。癌で亡くなるまでの55年の生涯を、二つの人生を生きたかに見える安井かずみの人生は、戦後からバブル崩壊までの日本を体現したとも言えるのではないか? 前半生と後半生のどちらが本当の安井だったのか? 安井は加藤を支配していたのか、支配されていたのか? 20名を越える関係者の証言から浮かび上がる伝説の人の素顔に、気鋭のノンフィクション・ライター島崎今日子が迫る!
内容(「BOOK」データベースより)
4000曲の詞を紡ぎ、時代を駆け抜けた作詞家・安井かずみ。林真理子、コシノジュンコ、金子國義、ムッシュかまやつ、吉田拓郎。20人余の証言から浮かび上がる、伝説の女の素顔。

※若い頃のアドレスブックには,「キャンティ」の電話番号も書き込んであった。行かずにいるうち,もう麻布飯倉片町のその店はない。記憶を遡る様な本だった。

今夜は十五夜2013年09月19日

十五夜の月
娘と孫娘が来て,月見。外に望遠鏡を出して孫に見せていると,ご近所さんが犬の散歩から帰ってきて,一緒に月を観る。その息子さんも,小さい時から知っていて,もう今や身長180センチの好青年。
向かいのアパートのおちびさんたちにも見せて,しばし月見談義。

家に帰ってから,デッキで月見を再開。娘が作った月見団子を食べて,月を愛でる。

※写真は30倍の望遠鏡に,ガラケーのカメラを押し付けて撮った。コペルニクスが良く輝いて見える。