オートキャンプ2014年08月05日

オートキャンプ
8/2-8/5 の三泊四日で,22年続いている基本3家族での夏のオートキャンプ。
今年は近場にして,山伏オートキャンプ場(山梨県・道志村)。横浜市の水道の水源。
30年前には良く家族だけで来ていたキャンプ場が沢山あるところですので,懐かしい。
Nさん,Mさん家族は夫婦だけですが,我が家は娘と孫娘がバスで山中湖まで来て,初日は到着してすぐにテントを立てると早速迎えに。婿さんも仕事が終わってから駆けつけ,合流。

道志川がキャンプ場を流れているので,涼しい,を通り越して寒い位。標高は920m。昼は24℃くらいで,夜は20℃になる。下界は猛烈な暑さと云うニュースがウソのよう。涼しすぎて,ビールが進まない。特に我々のサイトは,二ヶ月前に押さえてあるので,一番良い場所のようで,全サイトが木陰。そのため,多少湿っぽいのが難。

他のキャンプ場がどうなっているのか,まだ調べていないのだけれど,このキャンプ場は,生ゴミ,瓶・缶以外は持ち帰ることになっている。道志村は人口が少ないだろうから,しかたのないことかもしれません。予約が一日後ろにずれているのが偶然分かって焦ったけれど,ここの女支配人が何とかしれくれて解決したおまけ付き。おそらく彼女のご主人が適当な人で,確かに電話を受けたのは男性だったなぁ,そこで間違いが起こったようだ。

管理は良く行き届いていて,撤収した後のサイトには,砂利を敷き直していたり,トイレは全部ではないが,ウォッシュレットがあるし,24時間使えるコインシャワーと,時間制限があるものの,釜風呂と呼んでいる五右衛門風呂形式の風呂が無料で使えるというサービス。概ね快適と云えるだろう。

家族単位が多いようで,道路を挟んだお隣さんに孫がなついている。実際はその逆の様で,お兄ちゃんに遊んでもらえない,うちの孫よりは大きいお姉ちゃんが遊んで欲しくて良く訪ねて来る。孫がそのお母さんにお昼ご飯に呼ばれたので覗いてみたら,なんとチョコレート・フォンデュがお昼ご飯だそうで,ぶっとんだ。若い夫婦は考えていることが違う。

全体が森林なので,鳥の声はするが姿はよく見えず。イカル,カケス,シジュウカラ,ホオジロ,ヒヨドリ位しか,声を聴けなかった。セミはヒグラシとエゾゼミらしい「ビー・・・」という声。虫も少なく,私は全く刺されなかったが,他のメンバーは何だか正体不明の吸血昆虫にやられたらしい。

車で近くの温泉施設に行ったりしたが,ほとんどキャンプ場でまったり。昔程食べないし,飲まない。涼しすぎてビールが大量に余った。(^_^;) 料理も特にご披露するほどのものはなし。そうそう,ジャージャー麺をフォーでやろうと用意していったつもりが,作って冷凍しておいた肉味噌を忘れてしまい,フォーだけスープで,パクチーを入れて食べた。切ない。

最終日は,2家族が先に帰宅。婿さんは一泊で帰ってしまったので,爺・婆,娘・孫と出掛けて「鳴沢氷穴」と「富岳風穴」を見学。要するに冷蔵庫状態の溶岩洞窟。氷穴は0℃,風穴は3℃。見学時間は短くても,フリースが必要だった。孫が氷柱などを前に「♪ありの~,ままの~・・」と歌って,周囲の笑いをかう。中国人の観光客多し。忘れていたけど,富士山観光が突然ブームになったのだった。お陰で土日は道路が混んで,ひどい目にあった。平日は車は空いていたのが助かった。この日のお昼は名物の「ほうとう鍋」と馬刺。馬刺が美味くて,ビールが欲しかった。余ったおろしニンニクをほうとうに混ぜ入れて食べたら止まらなくなった。(^_^;)

キャンプ中,山中湖に何度も車で行ったが,周辺はスポーツ合宿施設が多く,学生がぞろぞろ歩道もろくに無いところを歩いていて,走り辛い。そういえば,ロードレーサーチームが道路工事現場で事故を起こしたらしく,実況見分が行なわれていた。停車していた小型ダンプにぶつかったのは自転車の方らしくて,保証が大変だろう。

最終日は娘達をバス乗り場へ送ってから,撤収。帰りは御殿場のアウトレットへ寄ってお買い物。ゴディバのチョコレートアイスクリームは美味でした。

旧型iPod touch2014年08月08日

iPod touch
娘が新機種を購入したので,それまで使っていたApple iPod touch 32GBをくれた。昨晩,娘が来て初期化した。面白そうなアプリ(星座とか)を試しに入れてみたが,GPSが内蔵されていないので,足下に向けて南天の星を観る,というような曲芸が出来ない。残念・・

Wi-Fi接続して,カレンダー(iCal)をcloud経由で同期してみた。今朝,色々いじってみたけど,困ったことが起きた。自分の行動予定と家内の行動予定を,カレンダーサーバー(非Apple)で共有していたのだけれど,ログインIDやパスワードを勘違いしていたとか,参照をオンにしたら編集出来なくなってしまった。しかたないので,タイムマシンを使って,昨晩の状態に戻してからやり直したら,復元して,ログインIDやパスワードを正しく投入したら,Macのカレンダーと完全に同期した。ほっとした。(^_^;)

さっき,青空文庫から,漱石の「こころ」とか芥川龍之介の短編をいくつかダウンロードした。今夜は月島で同級生達と飲むので,電車内で読もう。写真は過去1年分,音楽も4000曲ほど同期させた。鳥の声や,虫,カエルの声も入れたので,探鳥会にも持っていける。

今まではHDD40Gという初期のiPodとiPod shuffleしか使って来なかったので,極端に便利になった。今浦島状態・・・(^_^;)

鎌倉自主探鳥会2014年08月10日

ホトトギス
朝6時の時点では,台風の影響がありそうだなぁという天候でしたが,横須賀は雨が少し降った程度。鎌倉自主探鳥会は「雨天決行」ですので,7時過ぎの電車で鎌倉へ。

8時15分前に誰も居ない。日にちを間違えたのかと思ったが,幹事の一人Mさんが来た。「今日は誰も来ないかもねぇ・・」とMさん。M氏と準幹事ともいうべきI氏以外は常連さん2名のみ。あと2名幹事が来るはずだが来ないので,セレモニーを簡単に行なって観察開始。
雨は降っていないので,このまま探鳥会が出来るものと思っていました。佐助稲荷で一休みして,長老K師と雑談。鳥はあきらめていたが,アオゲラが鋭く鳴いた。そうこうしていると豪雨。
携帯には三浦,横浜・横須賀,鎌倉各市から大雨・洪水・波浪警報が発表されたとメール。急遽中止とする。急いで鳥合わせをして10時。小降りになったのを見計らって下山。

降ったり止んだりしていたが,千葉方面からの電車も遅れているので,中止にして正解か。帰宅したら,天気は比較的穏やか。先のことはわからないので,これでよしとする。

フィットネスクラブへ行くのも止めて,良く冷えたビール・・(^_^;)

※ホトトギスが咲き始めた。

読み終えた本「物語アメリカの歴史」2014年08月12日

「物語アメリカの歴史」
読み終えた本「物語アメリカの歴史」
猿谷要著 中公新書 1991年刊

猿谷氏は以前テレビなどで良く目にしていたが,最近見ないなぁと思ったら2011年に前立腺癌で亡くなっていた。
これ一冊読んだだけで米国の歴史を知った様な気になってもいけないが,非常に平易に書かれていて,分かり易い。

興味深い部分のメモ
p60 建国の祖父の一人,ベンジャミン・フランクリンは多才な人であるが,特に18歳から欧州に渡り,10回近く渡欧している。外交に手腕を発揮したことはこの経験があるかららしい。著者は自伝でもっとも好きなのが「福翁自伝」と「フランクリン自伝」だそうだが,フランクリンはこの中で13の徳目というものを掲げているが,一方の小品では「情婦の選択に関する若者への助言」などがあり,若い娘より年増女を,と勧めている。そんな面もあるのは時代のためだろうか。

p68 建国当初の米国民は400万人弱だったが,その19%の76万人は黒人だった。南部の州では40%を越えたところがある。

p75 ジェファソンはヴァージニアの大農場主だったので,大勢の奴隷を使っていた。妻の死後,彼の面倒をみて,4人の子供をもうけたのは若い混血の女性だった。
そのためか,黒人奴隷を虐げていれば,いずれ状況が変わったとき,神は我々(白人)の味方をしないだろう,と著書で述べている。

メキシコとの戦争,インディアン討伐,西部開拓という,原住民からみれば侵略の歴史が綴られる。戦争や買い上げに依って得たカリフォルニに続くアラスカでの金鉱脈発見は,米国にとっては非常に幸運だった。映画「アラモ」やテレビの西部劇で見ていたことが,歴史年表の上にプロットされる。

p92 リンカーンはメキシコ戦争を批判する爆弾発言で失脚したが,内戦の勃発(南北戦争)によって返り咲いた。もし,内戦がなければ,リンカーンは世に出ることはなかった。

p113 米国での鉄道敷設は民間に委ねられた。このため,鉄道王なるものが誕生する。グールドもその一人で,巨万の富を築いたが,財産を子供達に分け与えただけで,社会のために使うことをしなかった,と,この時代の米国から帰国した内村鑑三が,幻滅した様子を講義の中で述べている。

p118 黒人へのリンチ,樹に吊るされた「奇妙な果実」。黒人に対するリンチは予告されて行なわれ,女・子供まで見て楽しんだ。吊るされた死体から,心臓や肝臓の薄切りを土産に持ち帰ったという。

p137 20世紀初頭のアメリカ,この時代を描いたアプトン・シンクレア著「ジャングル」に書かれていることは,シカゴの缶詰工場やソーセージ工場で働いたときの経験をもとにしている。
「ヨーロッパで拒否されたソーセージは,はるばる本国に帰ってくるが,これはカビ臭く,白けている。これを硼砂とグリセリンに漬け,漏斗機に投げ込み,国内消費用として再生する。工員達が歩き回ったり,つばきをしたりして無数の結核菌がばら撒かれている塵埃とおが屑にまみれた床上に落ちる肉もある。倉庫に高く積まれた肉があり,その上には天井から雨もりの雫が落ちてくるし,何千という鼠が肉の上をかけ廻っている。倉庫の中は暗くて良く見えないが,肉の上を手でなぜれば,乾いた鼠の糞がごろごろしているのがわかる。鼠は厄介なもので,缶詰業者は毒入りのパンを倉庫内に置き,鼠を殺すが,こうなると,鼠とパンと肉が一緒になって漏斗機に入る。これはお伽話でも冗談でもない。肉はシャベルで荷車に積み込まれるが,積み荷をする男は,鼠が目に入っても,これを取り除く労をとろうとはしない。毒で殺された鼠一匹などは物の数にも入らないほど,いろいろなものがソーセージの中に入ってくるのだ。」
先般の中国での肉処理工場の様子を,米国人は笑うことができないだろう。
時の大統領セオドア・ローズヴェルトは読書家で,この本を読み,ソーセージ工場の場面にさしかかったが,折しも食卓にソーセージが載っていた。彼は声をあげてソーセージをつかみ,窓の外へ投げ捨てたという。大統領は当時27歳のこの本の著者を呼び,調査を重ね,食肉業界の抵抗を退けて,その年のうちに純正食品・薬物法と牛肉検査法を成立させた。

p142 ヴェルサイユ講和会議に出席したウィルソン(大統領)とクレマンソー仏首相との会話が当時の新聞に載った。進歩派のはずの大統領は,クレマンソーの現実的な質問の前に,完全に保守派の大統領と化していく。A.M.シュレジンジャー曰く,「ウッドロー・ウィルソンは黒人たちを人間関係の枠の外においた最後の進歩的大統領であり,ハーバート・フーバーは黒人下院議員の夫人をホワイト・ハウスのお茶会に招いて紛争をよんだ最後の保守的大統領だった。」

p164 カリフォルニア州では1913年に排日土地法が,1942年には排日移民法が成立。反日の動きは頂点にたっした。日清・日露戦争,第一次大戦での勝者となった日本は米国に危険な国と警戒された。しかし,日本の大衆は米国を憎んではいなかったようで,英語教育は縮小されたが続いていたし,ジャズや野球,ハリウッド映画を好んで観ていた。1936年のチャップリン来日では熱狂的に彼を迎えた。そういう大衆感覚が,戦後の新しい関係を作る下地となった。(確かに)

p226 マイノリティー集団の台頭。インディアンの呼び名は,インディアン自身が決め始めた。
アメリカ・インディアン→インディアン・アメリカン(インディアン系アメリカ人)
ネイティブ・アメリカン(先住アメリカ人)
ファースト・アメリカン(最初のアメリカ人)などを使うようになった。
映画「ソルジャー・ブルー」1970年公開。1864年に起きた大虐殺を描いている。

p251 ピューリッツァー賞受賞の本「よい戦争」スタッズ・ターケル著で,130人に第二次大戦についてインタヴューをしたもの。時を経れば,正義の戦争,良い戦争も色褪せてきて,様々な感慨がわくものだ。「あれは無益な戦争でした。・・」元警察署長。

p271 エピローグ「現代アメリカの飢餓」ビクター・サイデル著 1987年。この時代,まだ南部では餓死する人がいた。貧困は置き去りにされてきた。
サイデル博士の言葉「最近私たちは,世界史上最も強固な軍事力を目のあたりにしてきた。1981年に約千6百億ドル,1987年に約3千億ドルの軍事費を出資した。この額は,7年間で1兆6千億ドルに達し,・・・かりに一日百万ドルをキリスト誕生の日から使ったとしても,その総額は過去7年間の軍事費のわずか半額にも満たないのである。」

内容(「BOOK」データベースより)
アメリカは民主主義の理念を具体的に政治に実現させた最初の国である。独立宣言の中心「すべての人間は生まれながらにして平等である」は、今なお民主主義国家の道標として輝き続けているものの、人種間の問題や戦争など、建国から2百年余、その歴史は平坦ではなく、生々しい傷がまだ癒えることなくその跡をとどめている。この超大国の光と影を、戦後深いつながりをもって歩んできた日本との関係もまじえて描く。

内容(「MARC」データベースより)
日本を開国させ、今なお深いつながりを持つ超大国の光と影を描く本。民主主義の理念を具体的に政治に実現させた最初の国だが、建国から二百年余、その歴史は平坦ではなく、人種間の問題や戦争など、難問を多く抱えるアメリカの歴史の流れを追い、今後を占う。

朝ジョグ2014年08月17日

朝ジョグ。6時過ぎなので日は既に昇っている。涼しくて気持ちが良い。
野比川の青地では,フェンスにタイワンリスの子供が居て,走ると先へ先へと跳ねていく。スズメも良く同じことをするが,途中でフェンスを降りて左の茂みへ。これもスズメと同じ。
ハグロトンボ2頭が青地にいた。自宅の庭では良く見るが,野比川で見るのは初めて。

最高地点への登り口に,何か小動物がうずくまっている。死んでいるのかと良く見ると顔を挙げた。尾を含めなければ23cmほどのタヌキの幼獣だった。体中の毛がほとんど抜けて,疥癬に冒されている。顔を挙げるのが精一杯で死にかけているようだ。
神奈川県には野生動物(鳥獣)を保護するシステムがあるが,http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f986/p10112.html 私は持ち込まないことにした。疥癬の罹患は個体数が増え過ぎたことによる。何故増えたか?安易に餌付けした結果だ。10年ほど前だろうか,もっと増えたことがあり,鎌倉の探鳥会でも,疥癬で死んだタヌキを多数見た。痒みで狂い死にするという様相で,最後は水辺で事切れる。眼をカラスがほじくる。悲惨な光景を何度も観た。一度,疥癬で倒れていたタヌキを保護するため,ビニールシートを使って四人掛かりで車が通る道まで運こぼうとしたことがある。道路へ出る前に事切れていた。途中の竹林に埋めたことを思い出す。YRPでも一度,人工池で死んだ個体がいた。確かに死にかけている幼獣はいかにも可哀想だ。自分を見上げた眼を思い出す。

※昔,母は,飼い猫が老齢で死にそうになったとき,ずっと抱いていてやり,事切れたのを見届けると「今度は人間に生まれておいで」と言ったことが忘れられません。母も洗礼を受けたクリスチャンでしたが,仏教の心を持ったままでした。

読み終えた本「アンソロジー ビール」2014年08月20日

読み終えた本「アンソロジー ビール」
読み終えた本「アンソロジー ビール」
パルコ (2014/7/1)
著者:東海林さだお、川上弘美、阿川佐和子、山口瞳、吉田健一、川本三郎、恩田陸、平松洋子、久住昌之、角田光代、辰巳浜子、室井佑月、北大路公子、赤塚不二夫、内田百けん、大竹聡、椎名誠、村松友視、阿川弘之、伊藤晴雨、坂口謹一郎、星新一、小泉武夫、森茉莉、種村季弘、岩城宏之、開高健、千野栄一、小沼丹、田中小実昌、吉田直哉、立松和平、石堂淑朗、丸山健二、永井龍男、矢口純、佐多稲子、獅子文六、遠藤周作、吉村昭、長田弘。

※発表年度が無いので,時代背景がとっさには分からないのが残念。

存命の作家,物故者のビールに関するエッセーが,ちょうどリレーの様に引き継がれていくのは,面白い編集だと思った。この配慮が読み易くしている。
「孤独のグルメ」の久住昌之が載っていたのは,ちょっと以外だった。
赤塚不二夫は文章ではなく,漫画だった。これでいいのだ!

p58 辰巳浜子(料理研究家)ビールのつまみ どんなものがあるのか,OCRで取り込んだ。

 空豆、ピース、枝豆の塩茄では春から夏の味で、秋は煎りたてのぎんなんなど気がきいています。五、六月は島根県日ノ御碕のわかめを焼いていただいております。一年中絶えず繰返すのは、お正月の鏡餅を堅餅に干したり、寒餅をたんざくに切って一年分干しあげておき、揚餅にするのです。良質の昆布を揚げて混ぜ、盛りかごに盛るのですが、これはたいそうよく受けます。
 ポテトチップ、じゃがいもを薄く同じ大きさに切るのはなかなか技術を要するので、干六本に切って一度水にさらして揚げるのです。さつまいもを同じように扱うのもなかなかよろしいものです。ごほうを木綿針の太さに切って水にさらし、生小麦粉をかけ、ちょっとまとめて揚げるとパリパリしてとても喜ばれます。らっきょうを塩漬けしてちょっと酸味をもつようになったものを、冷たくしてガラス器に盛って出すとどなたも絶賛されます。玉葱の薄切りを氷水でさらして冷たくパリッとさせ、花かつおをかけて生醤油を少々かけるのも、食パンの薄切りをサラダ油で揚げ、オイルサージンを玉葱でマリネしてパンの上にのせ、レモンの薄切りととき辛子を添えるのもビールによく合うものです。
 燻製、ハム、チーズの類、また木の実を三、四種類混ぜ合せたものをおすすめします。
 ビールにはなるべく、油けを使ったものをおつまみにされるほうが、からだのためによいようです。

p80 内田百間(間は正しくは門構えの中に月:うちだひゃっけん)タンタルス(上)
夏目漱石門下なので,戦時中のことを書いたのではないかと思う。店でビールを飲むのに,一人当たり一本と決まっていた。同じようにサイダーも一人当たり一本なので,下戸と一緒の時は,サイダーとビールをそれぞれ頼んで,下戸にサイダーを飲ませ,自分は2本飲む,ということをやる。「そこを何とか」が通じない時代のビール好きの悲哀が描かれている。

p97 椎名誠 生ビールから,「生」が付くものに言及し,生足は分かるが,「生首」はどうしてわざわざ「生」を付けるかわからない,と書いている。これはおそらく,討ち取って切り取られた首は,首実検の為に塩漬けにされたためだろう。塩漬けの首に対して,そうなっていない,切り取ったばかりの首を「生首」と云ったと思われる。椎名ももう少し考えてはどうかと思った。

p174 ネパールのビール 古田直哉:演出家・テレビディレクタ この話はとても良かったので,後で,全文を掲載する。

p208 獅子文六 時代だろうか,ビアホールに女性がいることに驚き,かつ歓迎している。ただビアホールで一人でビールを飲む女性はまだ見たことがないと書いている。確かにそれは今でも少ないかもしれないが,居ないことはないだろう。横浜でのオクトーバー・フェストでも一人で来ていた女性がいた。ビールを飲むとトイレが近くなる,というところでは,ミュンヘンでドイツ人の友人と飲んだ時,トイレがないために,ビアホールをはしごしたとある。今でもそうなのか,知りたいところだ。漱石の「こころ」には「先生」が立ち小便をする下りがある。立ち小便も近頃とんと見なくなった。

p223 吉村昭 専門家同士を引き合わせ,一緒に三人で飲んだ時の話を書いているが,自分は二人の会話を横で楽しんでいる。私も専門家の話を聞くのは,実に楽しい。特にビールを飲みながら。

ネパールのビール2014年08月20日

ネパールのビール(全文)
古田直哉(演出家・テレビディレクタ:1931-2008)

 四年も前のことだから、正確には「ちかごろ」ではないのだが、私にとってはきのうの出来事よりずっと鮮烈な話なのである。
 昭和六十年の夏、私は撮影のためにヒマラヤの麓、ネパールのドラカという村に十日あまり滞在していた。海技千五百メートルの斜面に家々が散在して、はりつくように広がっている村で、電気、水道、ガスといったいわゆる現代のライフ・ラインはいっさい来ていない。
 四千五百の人口があるのに、自動車はもちろん、車輪のある装置で他の集落と往来できる道がないのだ。しかも、二本の足で歩くしかない凸凹の山道をいたるところで谷川のような急流が寸断している。そこにさしかかったら岩から岩へ、命がけで跳ばなければならないのだ。
 手押し車も使えないから、村人たちは体力の限界まで荷を背負ってその一本の道を歩む。
だから、茂みが動いているのかと驚いてよく見ると、下で小さな足が動いていたりするのだ。燃料にするトウモロコシの葉の山を、幼い子どもが運んで行くのである。
 むかし日本でも、村の共有地である入会山で柴を刈るときは、馬車で持って帰ることなど、禁じられていた。自分の体で背負えるだけしか刈ってはいけない。自分が背負える分量だけ刈るのなら、お天道さまに許される、という思想があったのである。
 時代はちがうが、車をころがせる道がないおかけで、ドラカ村の人びとは結果的に環境保護にもかない、お天道さまにも許される生活をしているわけだ。しかし、むかしのことは知らず、いま村人たちは、自動車の通れる道路をふくむいっさいのライフ・ラインに恵まれていない自分たちの生活が、世界の水準より下だと熟知している。だから、旅行者の眼には桃源郷のように見える美しい風景のなかで、かなりつらい思いで暮らしているのだ。
 とりわけ若者たち、子どもたちには、村を出て電気や自動車のある町へ行きたいという願望が強い。それも無理ではないのであって、私たちにしても、車が使えないここでの撮影は毎瞬が重装備の登山なのだ。車でこられる最終地点から村までは、十五人もポーターを雇って機材や食糧を運んだのだが、余分なものをいっさい割愛せざるを得なかった。
 まっさきに諦めたのがビールである。なにより、重い。アルコールとしてなら、ウィスキーのほうが効率的だ。それを六本、一人一本半ぶんずつ持てば、四人で十目間なんとかなるはずだ、という計算で諦めた。
 しかし、ウィスキーとビールとでは、その役割がちがうのである。
 大汗をかいて一日の撮影が終わったとき、眼の前に清冽な小川が流れているので思わず言った。「ああ、これでビール冷やして飲んだら、うまいだろうなあ」と。
 スタッフ全員で協議した末に諦めたビールのことを、いまさら言うのはルール違反である。しかし、私が口にしたその禁句を聞きとがめたのは、私の同僚ではなくて、村の少年チェトリ君であった。
 「いま、この人は何と言ったのか」
 と通訳にきき、意味がわかると眼を輝かして言った。
「ビールがほしいのなら、ぼくが買ってきてあげる」
「……どこへ行って?]
 「チャリコット」
  -----チャリコットは、私たちが車を捨ててポーターを雇った峠の拠点である。トラックの来る最終地点なので、むろんビールはある。峠の茶屋の棚に何本かびんが並んでいるのを、来るときに眼の隅でみた。
 でも、チャリコットまでは大人の脚でも一時間半はかかるのである。
 「遠いじゃないか」
 「だいじょぶ。まっ暗にならないうちに帰ってくる」
 ものすごい勢いで請けあうので、サブサックとお金を渡して頼んだ。じゃ、大変だけど、できたら四本買ってきてくれ、と。
 張りきってとび出して行ったチェトリ君は、八時ごろ五本のビールを背負って帰ってきた。私たちの拍手に迎えられて。
 ------次の目の昼すぎ、撮影現場の見物にやってきたチェトリ君が「きょうはビールは要らないのか」ときく。前夜のあの冷えたビールの味がよみがえる。
 「要らないことはないけど、大変じゃないか」
 「だいじょぶ。きょうは土曜でもう学校はないし、あしたは休みだし、イスタルをたくさん買ってきてあげる」
 STARというラベルのネパールのビールを、現地の人びとは「イスタル」と発音する、
嬉しくなって、きのうより大きなザックと一ダースぶん以上ビールが買えるお金を渡した。
チェトリ君は、きのう以上に張りきってとび出して行った。
 ところが夜になっても帰ってこないのである。夜なかちかくになっても音沙汰ない。
 事故ではないだろうか、と村人に相談すると、「そんな大金をあずけたのなら、逃げたのだ」と口をそろえて言うのである。それだけの金があったら、親のところへ帰ってから首都のカトマンズヘだって行ける。きっとそうしたのだ、と。
十五歳になるチェトリ君は、一つ山を越えたところにあるもっと小さな村からこの村へ来て、下宿して学校に通っている。土間の上にムシロ敷きのベッドを置いただけの、彼の下宿を撮影し話をきいたので、事情はよく知っているのだ。
 その土間で朝晩チェトリは、ダミアとジラという香辛料をトウガラシと混ぜて石の間にはさんですり、野菜といっしょに煮て一種のカレーにしたものを、飯にかけて食べながらよく勉強している。暗い土間なので、昼も小さな石油ランプをつけてベッドの上に腹ばいになって勉強している。
 そのチェトリが、帰ってこないのである。あくる日も帰ってこない。その翌日の月曜日になっても帰ってこない。学校へ行って先生に事情を説明し、謝り、対策を相談したら、先生までが「心配することはない。事故なんかじゃない。それだけの金を持ったのだから、逃げたのだろう」と言うのである。
 ------歯ぎしりするほど後悔した。ついうっかり日本の感覚で、ネパールの子どもにとっては信じられない大金を渡してしまった。そして、あんないい子の一生を狂わした。
 でも、やはり事故ではなかろうかと思う。しかし、そうだったら、最悪なのである。
いても立ってもいられない気もちで過した三日目の深夜、宿舎の戸が烈しくノックされた。すわ、最悪の凶報か、と戸をあけるとそこにチェトリが立っていたのである。
 泥まみれでヨレヨレの格好であった。三本しかチャリコットにビールがなかったので、山を四つも越した別の峠まで行ったという。
 合計十本買ったのだけど、ころんで三本割ってしまった、とべそをかきながらその破片をぜんぶ出してみせ、そして釣銭を出した。
 彼の肩を抱いて、私は泣いた。ちかごろあんなに泣いたことはない。
 そしてあんなに深く、いろいろ反省したこともない。(終)
※著作権などで問題がある場合は,削除します。

賢者の石2014年08月26日

松やに
3歳半の孫娘,昨晩遊びに来た時に,娘が「ヴァイオリンに興味があるみたいよ」とそそのかすので,私が子供の頃に使っていた1/4のヴァイオリンを持たせてみた。
顎当てで支えると,指が指板に届かない。(^_^;) まだ身体が小さすぎ。

その後,「ハリーポッター:賢者の石」のDVDを初めて見せたのだけど,最初の方はあまり興味を示さないで遊んでいた。ハリーが賢者の石を手にして,危機が迫る辺りはしっかり観ていた。

見終わってから,ヴァイオリンの松やにの固まりをみせてやり,「賢者の石みたいだね」というと,松やにを手に取って「ここに映るね」とかけらの割れた面を触ったりしていた。

※ヴァイオリンは鈴木ヴァイオリン工房のもので,1954年製。「1720年製のストラディヴァリウスのコピー」と書いた紙が,ホールから見える。松やにも60年を経て,最初の淡い琥珀色から,すっかり濃い色に変わり,匂いもしなくなっている。枯れたなぁ・・

手すり固定式雲台2014年08月29日

そろそろタカの渡りの準備をしているのだけれど,先日は勉強会後の飲み会で終電過ぎまで飲んでしまい,翌日は一日ダウンしていたので,多少反省。

それはそれとして・・,昨年はU氏が作った「手すり固定型水平雲台」とでも云う様なアイテムが威力を発揮した。
今年は,それをパクらせていただいて,同じものを作った。

ホームズで手に入れた(U氏のアドバイスに依る)万力を加工。1/4の六角ユニファイネジが入るようにし,穴あけ後,タップを立てる。

そのネジに,HAKUBA 延長ポール HCS-2という一脚様のものを固定する。先端に3/8UNアダプタ(コジマのカメラ売り場にあった)を装着すると,改造したジンバル雲台が取り付けられる。

※あとは,武山山頂・アゼリアハウス展望台の手すりが,四角から丸に変わってしまったので,それに合わせる仕掛けが必要。雨続きで山頂には行っていない。晴れたら,ノギスを持って登頂・・

iPad mini Retina Cellarモデル2014年08月31日

iPad mini Retina Cellarモデル
昨日,ドコモショップでiPad mini Retina Cellarモデルを契約して来ました。
設定に多少手間取りましたが,iPod touchで慣れていたので,なんとか使えるようになりました。もの凄く便利ですね。

※今日,武山山頂で,目慣らしをするので,持って行きます。