読み終えた本「フェルメールの帽子」2014年10月29日

フェルメールの帽子
読み終えた本「フェルメールの帽子―作品から読み解くグローバル化の夜明け」
岩波書店 2014/5/30
ティモシー・ブルック (著), 本野 英一 (翻訳)

内容(「BOOK」データベースより)
“永遠の瞬間”を描き留め、いずれの作品も珠玉の絵画と賞されるオランダの画家、ヨハネス・フェルメール。しかし、画家のマジックに閉じ込められたのは“美”だけではない。ヨーロッパの小氷河期、アジア航路探索、米大陸での銀採掘、チャイナ・ブーム―一七世紀の壮大な東西交流の世界へ、いま扉が開かれる!あなたがまだ見たことのない、フェルメールの新世界。
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本の表紙は,「兵士と笑う女」(ニューヨーク、フリック・コレクション)。この兵士の被っている帽子は,フェルト製だが,当時の上等のフェルトはビーバーの下毛を加工したものだった。もっと安価なものは羊毛で作られたが,羊毛は防水性はなく,すぐに型崩れする。ビーバーのフェルトは高価であり,富の象徴であった,という。
フェルメールの名作「デルフト眺望」では,東インド会社の建物が描かれており,17世紀に起きた物流や人的なグローバル化の波を解説していく。
フェルメールの絵に描かれている地図や地球儀,陶器の皿,ワイングラスから天秤の上の銀貨などから読み解いていく歴史の切り口が斬新で,見方を変えると当時の経済が,どのような動機で活発になっていったのかがよく分かる。
著者はカナダ・ブリティッシュ・コロンビア大学教授で中国史が専門。訳者は英語から中国語の文献を逆に辿らないといけないので,大変な苦労をして訳しているようだ。
全体のあらすじは,http://blogs.bizmakoto.jp/deguchiharuaki/entry/20737.htmlがよく書けている。

メモ
p057 フェルトの原料で最良のものは、ビーバーの下毛であった。欧州のビーバーを獲り尽くすと,カナダ国境付近のインディアン各部族との交易で入手した。
p084 景徳鎮の青い染付けは、ペルシャのコバルトが先で、ペルシャへの輸出のため、濃い青になった。
p100 1640年のアムステルダムでは、輸出用の安物中国陶磁器が供給過剰になっていた。
p159 沙雞 スナドリ サケイのことだった。
p262 ヤン・ヤンセ・ウェルテフレー、オランダ人水夫、難破して済州島に漂着し、官吏に登用され、39年朝鮮に住み続け、その地で没した。一行の中に、アレグザンダー・ボスケという水夫がいた。在フランスのスコットランド人、フランス人、オランダ人、遂に朝鮮人となって生涯を終えた。まるで,『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(Dances with Wolves)のようだ。

*フェルメールの晩年は悲惨で,亡くなったあと破産,夫人はデルフト市当局に生活保護を申し出る。その際の供述が残っており,ある程度,その状況が分かる。