読み終えた本「利己的な遺伝子」リチャード・ドーキンス2015年10月02日

利己的な遺伝子
利己的な遺伝子
リチャード・ドーキンス
紀伊國屋書店; 増補新装版 2006年

1976年に初版が出ているので,30年経ってやっと読んだ。そういえば,昔,小檜山さんが自著で「ドーキンス的には云々・」ということを書かれていたけれど,読んだことがなかったので,どういうことなのか,当時はわからなかった。
「遺伝子は利己的である。生物が利他的行動をとったとしても,それは結局は遺伝子を都合よく残すための利己的行動である」というようなことを読むにつけ,元になったこの本を読まなければなぁと思っていた。
遺伝学の話でも,分子生物学の話でもなく,ドーキンスの哲学的思索の書,という感じがする。「利己的遺伝子」という考えはドーキンスのオリジナルではないが,本書によって広く知られるようになった。

メモ
「生物体は、利己的な遺伝子たちによって盲目的にプログラムされた機械である。」とか,
生物は遺伝子を次の世代に運ぶための乗り物にすぎない,というのはいかにも刺激的である。
また,遺伝子に対して,社会・文化(例えば習慣,技能,物語など)を受け継いで複製していくものを「ミーム:meme」と呼んだ。

p407 人間やワラジムシのような進んだ動物の複雑な器官は祖先たちの単純な器官から徐々に段階的に進化してきた。しかし、祖先の器官は、刀を打って鍬の刃にするように、文字通りの意味で子孫の器官に変化していったのでは無い。
の「刀を打って鍬の刃にするように・・」は,「かれらはその劍をうちかへて鍬となし、その槍をうちかへて鎌となし、國は國にむかひて劍をあげず、戦闘(たたかひ)のことを再びまなばざるべし」イザヤ書第二章四節からの引用だろう。
キリスト教圏の人間は,時にさりげなく聖書から引用するが,たまたまこの語句は知っていたからわかったのだけど,ほとんどはスルーしてしまっているのだろう。『神は妄想である――宗教との決別』を書いた人でも,このようなことをするのだ。

p416 宇宙のどんな場所であれ、生命が生じるために存在しなければならなかった唯一の実態は、不滅の自己複製子である。

*例え,生命の基本構成原子が炭素から硅素に変わったとしても,同じように「利己的な自己複製子」を運ぶ乗り物であることは変わりがないのかもしれない。
 自分の生命観というものが,多少変わったように思う。