アメリ2005年09月01日

今夜、BS2で「アメリ」を観ました。以前にも観たのですが、前はどうも途中から観たようで、冒頭の部分は観たおぼえがない。おぅ!アメリはそういう生い立ちだったのか、と納得。フランス映画らしい、細やかな描写に改めて感心しました。設定は、あり得そうだが、あり得ないなぁというものなのですが、引き込まれて観てしまいました。大人の男女関係が所々に出てきますが、こんな風にさらりと描けるのも、フランス映画ならではでしょう。
パリ・北駅の描写、昔のツール・ド・フランス(スペアのチューブを選手がタスキ掛けにしているって、コッピの時代じゃないの?)が登場したり、ネコが出てきたり、私の好きなものが結構ちりばめられていて、何度も繰り返し観てみたい映画の一つになりました。40年後に届く郵便、世界を旅する小人の像(内輪の話ではガッツに相当します、って言ってわかる人は・・・)もうたまらんです。
こういう映画は今のハリウッドでは決して作られないし、作れないなぁと、つくづく思う、秋の夜半。

iPod Shuffle2005年09月02日

修理を申し込んでいたiPod Shuffleの修理品が届いた。修理と言ってもウェッブ上で申し込みをして、「修理部品」として新品が宅配便の業者の手で届き、故障した製品を業者に託す、というものです。修理申し込みは先月22日ですから、9日目に到着しました。サポートも1週間から10日くらいみてください、と言っていたので、許容範囲内、というわけです。

既に修理品でディスカウントしていた40GのiPodを使用していますが、フィットネス・クラブで腕に巻き付けてジョギングしたり、筋トレしたりするには、40Gは重すぎ。そんなわけで、512MのiPod Shuffleを銀座のApple Storeに立ち寄った折り、衝動買いしたのでした。

語学練習用に使うような、好きなところを選んだり、同じところを繰り返し聞いたりするのには向きませんが、というより、できませんが、気軽に持ち歩いて、お気に入りの曲を聴くにはとても便利。専用の腕に付けるバンドをしてトレーニングのお供に活躍しています。音楽を聴きながら、というのは30分のジョギングでは気が紛れてとてもよろしい。最近はポッド・キャストで落語などもあるし、今度新しいのがアップされたら、落語もいいな、などと思っています。

届いたiPodには早速モーツァルトを入れましたが、95曲、8.4時間、469.1M入りました。これでも何回か聴くうち、繰り返しに飽きてくるので、1Gのがほしくなっている今日この頃です。

どなたでしたっけ?2005年09月05日

ある日のこと、出張か何かで朝、京浜急行に乗った。ほどなく座れて本など読んでいたかもしれない。向かいの席の男性、同じような年格好。私よりはずっと恰幅が良く、上品でこざっぱりした身なり。あちらさんも時々視線を投げかけてくるが、はて?どこかでお会いしたような。どこだったかなぁ・・・あちらがご存じで、こちらが「どなたでしたっけ?」という訳にはいかない。さて、どうしたものか。
思案するうち、電車は終点品川へ。電車を降りると、件の男性の方から歩み寄ってきて、
「失礼ですが、どこかでお会いしましたよね?」それはこちらも同じで、
「どちらででしたっけ?鎌倉ですか?」「いいえ」
日焼けしていかにもゴルフかマリンスポーツをおやりのようなので「江ノ島ですか?」
以前、上司だったM氏が江ノ島モーターボートクラブに船を置いていたので、お供したことがある。クラブ・ハウスで見かけたのか?
男性は「いえ、仕事関係で船は持っていますが、江ノ島ではありません」。
小網代湾のシーボニアにも何度か行っているので「シーボニアですか?」「いいえ」では、「タカの渡りシンポジウムですか?」「いえ、違いますねぇ。」
でも確かにどこかでお会いしている」と空回りの立ち話が続きましたが、二人ともビジネスの途中。そのままお別れしましたが、それ以来、もう5、6年になるが、再びお会いすることもない。はて、どこでお会いしたのか?謎のままです。

たこ八郎2005年09月05日

ある日のこと、京浜急行で帰宅途中。車両の前方に鳥仲間のM氏を発見。しかし、かなり離れているので、視線が合わない。何度かちらちらと視線を送ってみるが、M氏は気がつかない。まぁ、そんなに会うのが久しぶり、という程ではないので、無理に挨拶しなくても良いのだが、同じ電車に乗り合わせるのは珍しいこと。

そんなことを繰り返していると、M氏の何人か手前に、はっきり言って風体の良くない御仁。こちらを気にしている。ある種の人たちに特有の、何ともいえない凶暴な視線。だいぶ前に海水浴中に溺死したという「たこ八郎」をさらにおっかなくしたような人相の男。やばいな、と思ったが、ちょっとむかついたし、こいつ、からかってやろうかという感情が去来し、またM氏に視線を送り続けた。

金沢文庫を過ぎるあたりから乗客も減り、M氏が気がついた。その直後、かの「たこ八郎」氏は、「もう我慢ならん、ガン付けやがって、この野郎!」といわんばかりの表情を浮かべて立ち上がり、私の方へ歩み寄って来た。私の席はドアの隣で、視線を妨げるものはなく前が空いている。「ほ〜ら、ひっかかった」と内心の私。もう一歩で私の前へ、という瞬間、私は視線を遮る彼を避けるように体を前へ傾け、手を挙げてM氏に挨拶。気がついて返事を返すM氏。

「たこ八郎」氏は、瞬間に事情を察したようで、けっつまづくようにして向きを変え、急にそ知らぬ素振りでドアの前に立った。駅に近づいたわけでもないのに。その滑稽だったこと。笑いを堪えるのに必死でした。

まぁ、一歩間違うと修羅場になったかもしれないなぁ。若気の至り、って、別に若くはなかったなぁ。

帽子の老女2005年09月05日

ある日のこと、山手線だったと思います。平日の混んだ時間、偶然に座ることができ、その席は、たこ八郎のときと同じ、ドア横の手すりのある場所でした。かなり混んできて、手すりに寄りかかる人がいました。普段ならば、それは当然のことで、あまり気にすることはないのですが、この日はそうではありませんでした。その寄りかかった人は、寄りかかってはいるのですが、尋常ではなく、身体をぐいぐいと座っている私に押しつけているのです。その異常さに気がついて、よく見ると「フジ子・ヘミング」が被っていたような帽子の老女でした。しばらくは変な人だなぁ、と思いつつ我慢をしていたのですが、彼女はいきなりその場にしゃがみこんでしまいました。

そうなると、放ってはおけない。立ち上がって、「大丈夫ですか?どうぞ」と席を譲りました。混んでいたので、無理にその場を離れず、だいたいいつも席を譲った後はその場をわざとらしく離れるのはいやなので、その場にいることが多いのですが、この時もそうしました。
老女は無言で着席し、別段具合が悪いようでもありませんでした。杖を持っていたように記憶しています。

しばらくして彼女の目的地に到着しました。彼女は席を立つなり、本を読んでいた私の腕を掴んで、ほとんど無理矢理、席に座らせ、降りていきました。
結局、彼女は一言も発しませんでした。それが、かえって奇妙でした。

振り返って、彼女の行動を分析すると、杖が必要な彼女は、席に座りたい自分に早く気がついて欲しかったのです。鈍い私にいやがらせをしたのかもしれません。それでも気がつかないので、しゃがみ込んで抗議をしたのでしょう。それで放っておかれれば、彼女は変人扱いされたでしょうが、案外あっけなく席を譲られたことで、その腹立ちは収まり、譲った私にまた席を返してくれた、そんなことだったのかなぁ、と今でも時々、寂しげな眼をしていたその老女を思い出します。

没落2005年09月08日

「ヒトラー、最後の12日間」を観ました。
最後の秘書や側近の証言に基づく映画だそうで、それまで断片的には知っていたことですが、非常にリアルな映像を見せられて、日本のことではないのですが、ベルリンで同時進行していた戦争という極限状況を疑似体験させられました。

以前、ヒトラーを取り上げた番組で観た、アルプスが見渡せる山荘で、愛人や側近たちとくつろぐ映像、しかもカラー!アグファなのでしょうね、戦時ドイツの工業力の高さを思い知らされました。それ以来、エヴァ・ブラウンのことや、ゲッベルス宣伝相一家の最後のことが、頭の片隅にありました。

もはやここまで、と悟った熱烈なヒトラー崇拝者であるゲッベルス夫人が、6人の子供たちを自らの手で淡々と毒殺して行く。夫人曰く「総統亡き後の世界には生きていたくない」そこまで第三帝国への憧れがあったのだろうか。

ベルリン陥落寸前には、首都防衛のために市民を見捨てるという冷酷さの反面、女性秘書に向ける優しさ、細やかな気遣い、相反する面を持っていたヒトラー。側近、重臣の裏切りに激怒する様など、迫真の演技もさることながら、きっとこういう人物だったのではないか、そんな人物に国の未来を託した責任は誰にあるのか。考えさせられました。

原題は「Der Untergang」、没落。

南蛮2005年09月09日

醤油に漬けた炒めた南蛮
南蛮は、南蛮芥子の略で、唐辛子のこと。特に青い唐辛子を指すことがあります。その昔、キュウリの塩漬けが、毎年山形の母の実家から送られてきていたのを思い出します。重しをして漬けたキュウリはぺっちゃんこで、漬け汁ごと入れたポリ袋の中で白いカビに覆われていたりするのですが、これに青い唐辛子、すなわち南蛮が一緒につけ込まれているのです。ぺっちゃんこのキュウリはめっぽう辛く、しかし青い唐辛子の風味がたまらない。まだ子供でしたが、ヒーヒー言いながら、たぶん一回りも違う兄の真似をして食べていたことを思い出します。唐辛子の方も、母は細かく刻んだものをみそ漬けの野菜などと混ぜたものを作ったりして、無駄なく戴いたものです。もう、送ってくれる親戚もおりません。まことに残念。

真夏ともなれば、南蛮を野菜売り場で見かけるようになります。どうしても手が出てしまいます。ちょっと切れ目を入れて、そのままフライパンで油炒めしたものを、醤油を付けて、熱いご飯で食べる、という荒っぽい手もありますが、翌日が辛い。(^_^;)

ヘタを取った南蛮を1cmほどに刻み、種ごとごま油で色が少し変わるくらいに炒めたものを、適当な瓶に詰め、生醤油を満たします。数日すると、南蛮風味の辛い醤油のできあがり。これを浅漬かりの白菜にちょっと付けて食べるのが好き!

白菜漬けの季節まで取っておくと良いのですが、それまでもたないなぁ。ほとんど毎日何かにかけて食べてしまいます。目玉焼きの黄身、茄子の漬け物、焼き魚・・・減れば醤油をつぎ足しながら。今日はイナダの刺身に付けて食しました。美味。

バードストライク2005年09月10日

宮川公園の風力発電機
航空機や建物に鳥がぶつかることをバードストライクといいますが、建物ならいざ知らず、ジェット機の場合は墜落の危険があり、深刻な問題です。

建物の方のお話。今の会社は山裾にあり、他社の建物も含め、何度か鳥が窓ガラスに衝突しました。
カワラヒワ、オオタカ、キジバト、ムクドリ、スズメ、ジョウビタキ、カワセミ、トラツグミ、ゴイサギ、ツバメなど。

私が野鳥の会の会員であることをご存じの方から連絡があることが多く、中には専門家に託して助かるものもありますが、多くは即死。絶命して新鮮なものは冷凍して博物館へ届け、ほとんどが剥製になって収蔵されています。

衝突防止のために、窓にはタカ(ツミ)のシール(野鳥の会、広島支部製作)を貼ったところ、付近のビルからも問い合わせがあり、紹介したところ、多くのビルが窓にシールを貼るようになりました。

最近は衝突は少なくはなってきたようですが、先日など「ドーン」と大きな音がしたので窓を見ると、キジバトらしい「鳥影」がガラスに転写されていました。ハトの仲間は防水のために、羽に粉のようなもの(粉綿羽)があり、それが転写されるのです。ハトも痛かったろうに・・・

三浦半島の南、宮川湾に面した宮川公園には、2基の巨大な風力発電機が設置されています。デンマークのミーコン社製で、定格の出力は400kW、年間で120万kWの発電量は、一般家庭なら260世帯分。公園の照明、風車のライトアップのみでは使い切れず、東電へ買電していますが、その額は年間に1000万円にもなるといいます。

問題はバードストライク。きっと鳥が巨大なローター(直径は31m)にぶつかるだろうと思っていましたが、2003年4月、トビが片方の翼をもぎ取られて死んでいました。やっぱり。

これからも風車は増え続けるでしょうが、鳥が衝突しても、インパクトの少ないタイプの風車だってあります。多少の効率を犠牲にしても、風車は鳥にも優しい必要があるのでは、と、痛ましいトビの姿を見て思いました。

タカの渡り2005年09月15日

今朝は7時から、自宅から20分ほどの武山山頂で、タカの渡り観察。すでに二人のお仲間が15分前から観察。ちょうどチョウゲンボウらしい個体を観察したあとでした。それ以後は、タカは出ず。風は東北東で良かったのですが、風力が5程度で強く、視界は良いのに、飛びませんでした。
8時半まで見て、仕事へ。結果は以下のHPに掲載。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv9h-ab/takeyama/takeyama.html

他に、ツバメ2,アオサギ2,アオゲラらしいドラミングなどを確認。

明日も観察の予定。何かタカが見られると良いのですが。

#鎌倉ではサシバ、ハイタカ、ハヤブサ、ノスリが11日(日)の定例観察会で観察できました。いよいよ、タカの渡りシーズンです。

タカの渡り2005年09月26日

24日(土)、25日(日)と台風17号の影響で、雨と強風。25日は午後には晴れ間が見られたものの、観察には出向かず。
本日、26日、出勤前に2時間ほど観察したが、ハチクマの渡りが見られたのみ。出勤後、「平日調査員」よりサシバが10羽渡ったとの連絡あり。見られず残念だったが、ついにサシバが渡った。
(観察記録のようなものだと、語調がそっけなくなるなぁ・・)

昼までにサシバは合計33羽渡ったそうで、これからが楽しみ。

太平洋岸のサシバの渡りが始まった!