読み終えた本「理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ」 ― 2015年08月13日

読み終えた本「理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ」 吉川浩満著
朝日出版社 (2014/10/25)
【本文より】
「本書は次のような構成となった。絶滅という観点から生物の歴史を彩る理不尽さを味わい(第一章)、そこで得られた眺望をもとに私たちが漠然と抱いている通俗的な進化論のイメージの内実とその問題点を指摘し(第二章)、それにたいして本物の進化論がもつ意義と有効性を専門家同士の論争を通じて明らかにしたうえで(第三章)、第二章で描いた素人の混乱と第三章で描いた専門家の紛糾の両者がともに私たちの歴史と自己認識をめぐる終わりのない問いに由来するものであると論じる(終章)、というものだ」「結果として、私たちが進化論に接するうえで重要だと私の考えるトピックがすべて詰め込まれることになった。ふだん顧みられることがない絶滅という視点、私たち素人の通俗的進化論の特徴と問題点、それにたいする本物の進化論の核心と重要性、そして専門家と素人がともに抱える課題、といった具合に」
【目次】
まえがき
序 章 進化論の時代
第一章 絶滅のシナリオ
第二章 適者生存とはなにか
第三章 ダーウィニズムはなぜそう呼ばれるか
終 章 理不尽にたいする態度
(メモ)
ドーキンスの著書では,
利己的な遺伝子
延長された表現型
盲目の時計職人
祖先の物語
を勧めている。神は妄想であるも。
ある生物種の絶滅は、遺伝子のためか、それとも運が悪いためか?
デイヴィッド・ラウプの「大絶滅」
生物の99.9%は絶滅する。
絶滅の三つのシナリオ
1 弾幕の戦場
2 公正なゲーム
3 理不尽な絶滅
素人は、進化論を「お守り」的に使ってきた。特に「適者生存」については。
「適者生存」は同義語を繰り返す言葉の技法「トートロジー」に過ぎない。
ダーウィン自身も後に使用しているが、自然淘汰の方が相応しい。
専門家の間でも、適応主義に対する長い議論があった。
インテリジェント・デザインは、合目的性と言い換える。
今では適応の目的は、種の保存ではなく、遺伝子の保存と増殖
ウィリアム・ペイリー 荒野の時計(荒野で時計を拾ったら,それはある目的を持って作られたと思うだろうという・・) 進化は目的を持った神の仕事という解釈
ドーキンスは、これを盲目の時計職人と揶揄した。
グールドの適応主義批判、進化は適応主義だけでは説明できない。
周期ゼミの研究が有名。進化パターンを土俵にしている。
一方、ドーキンスは、進化プロセスを土俵にしている。適応主義を擁護し、進化は遺伝子の複製と保存にあるとした。
進化は歴史であり、特定の時と場所における特定の個物がたどる決定論的カオスの遍歴にほかならない。
p334-335 グールドの進化論に関する言葉
「多くの人びとが進化論に惹かれるのは、それ自体がもつ三つの属性のためだと私は考えている。第一に、進化論は、現在の発展水準で、満足と確信を与えるにはじゅうぶん確立されているものの、不可解な現象という貴重な発掘物をまだまだ提供してくれるほど、未発達でもあり将来性に富んでもいるということ。第二に、時間を超えた数量的な一般法則を取りあつかう諸科学から歴史の特殊性を直接の対象とする諸科学にまで広がる連続体のまんなかに、進化論が位置していること。それゆえ進化論は、さまざまな流儀や性癖の持ち主たちに共通の広場を提供する。彼らは、抽象的な一般性(個体群の成長とかDNAの構造などの諸法則)を探求する人だちから一般的なものへは還元のしようもない雑多な特殊性(たとえば、ティラノサウルスはその貧弱な前肢でいったい何をしていたのかなど)を楽しむような人びとにまでわたっている。第三に、進化論はわれわれすべての生存に関わりをもつものだということ。自分たちがどこから来たのか、そのことはそもそも何を意味するのかといった系譜に関する大問題にわれわれが無関心でいられるわけがない。そのうえもちろん、バクテリアからシロナガスクジラにいたる、記載されたものだけでも百万種以上におよぶ動物がいる。その中間には、おびただしい甲虫類の世界もある。そのそれぞれが独自の美しさをもち、また語るに足る物語をもっているのである。」
自然淘汰は、自らの活動の痕跡を破壊しながら進む。
ミシェル・フーコーはカントの定義を引いて、人間とは「経験的=先験的二重体」と名付けた。
オレン・ハーマン著「親切な進化生物学者」ジョージ・プライスの伝記
*期待したような内容ではなく,素人が抱く進化論の理解を「理解」するには,何を知る必要があるか,グールドの失敗はどこにあったのかを延々と述べている。だが,グールドは自分で破滅したが,進化に関しては実に的確な指摘をしているという。
朝日出版社 (2014/10/25)
【本文より】
「本書は次のような構成となった。絶滅という観点から生物の歴史を彩る理不尽さを味わい(第一章)、そこで得られた眺望をもとに私たちが漠然と抱いている通俗的な進化論のイメージの内実とその問題点を指摘し(第二章)、それにたいして本物の進化論がもつ意義と有効性を専門家同士の論争を通じて明らかにしたうえで(第三章)、第二章で描いた素人の混乱と第三章で描いた専門家の紛糾の両者がともに私たちの歴史と自己認識をめぐる終わりのない問いに由来するものであると論じる(終章)、というものだ」「結果として、私たちが進化論に接するうえで重要だと私の考えるトピックがすべて詰め込まれることになった。ふだん顧みられることがない絶滅という視点、私たち素人の通俗的進化論の特徴と問題点、それにたいする本物の進化論の核心と重要性、そして専門家と素人がともに抱える課題、といった具合に」
【目次】
まえがき
序 章 進化論の時代
第一章 絶滅のシナリオ
第二章 適者生存とはなにか
第三章 ダーウィニズムはなぜそう呼ばれるか
終 章 理不尽にたいする態度
(メモ)
ドーキンスの著書では,
利己的な遺伝子
延長された表現型
盲目の時計職人
祖先の物語
を勧めている。神は妄想であるも。
ある生物種の絶滅は、遺伝子のためか、それとも運が悪いためか?
デイヴィッド・ラウプの「大絶滅」
生物の99.9%は絶滅する。
絶滅の三つのシナリオ
1 弾幕の戦場
2 公正なゲーム
3 理不尽な絶滅
素人は、進化論を「お守り」的に使ってきた。特に「適者生存」については。
「適者生存」は同義語を繰り返す言葉の技法「トートロジー」に過ぎない。
ダーウィン自身も後に使用しているが、自然淘汰の方が相応しい。
専門家の間でも、適応主義に対する長い議論があった。
インテリジェント・デザインは、合目的性と言い換える。
今では適応の目的は、種の保存ではなく、遺伝子の保存と増殖
ウィリアム・ペイリー 荒野の時計(荒野で時計を拾ったら,それはある目的を持って作られたと思うだろうという・・) 進化は目的を持った神の仕事という解釈
ドーキンスは、これを盲目の時計職人と揶揄した。
グールドの適応主義批判、進化は適応主義だけでは説明できない。
周期ゼミの研究が有名。進化パターンを土俵にしている。
一方、ドーキンスは、進化プロセスを土俵にしている。適応主義を擁護し、進化は遺伝子の複製と保存にあるとした。
進化は歴史であり、特定の時と場所における特定の個物がたどる決定論的カオスの遍歴にほかならない。
p334-335 グールドの進化論に関する言葉
「多くの人びとが進化論に惹かれるのは、それ自体がもつ三つの属性のためだと私は考えている。第一に、進化論は、現在の発展水準で、満足と確信を与えるにはじゅうぶん確立されているものの、不可解な現象という貴重な発掘物をまだまだ提供してくれるほど、未発達でもあり将来性に富んでもいるということ。第二に、時間を超えた数量的な一般法則を取りあつかう諸科学から歴史の特殊性を直接の対象とする諸科学にまで広がる連続体のまんなかに、進化論が位置していること。それゆえ進化論は、さまざまな流儀や性癖の持ち主たちに共通の広場を提供する。彼らは、抽象的な一般性(個体群の成長とかDNAの構造などの諸法則)を探求する人だちから一般的なものへは還元のしようもない雑多な特殊性(たとえば、ティラノサウルスはその貧弱な前肢でいったい何をしていたのかなど)を楽しむような人びとにまでわたっている。第三に、進化論はわれわれすべての生存に関わりをもつものだということ。自分たちがどこから来たのか、そのことはそもそも何を意味するのかといった系譜に関する大問題にわれわれが無関心でいられるわけがない。そのうえもちろん、バクテリアからシロナガスクジラにいたる、記載されたものだけでも百万種以上におよぶ動物がいる。その中間には、おびただしい甲虫類の世界もある。そのそれぞれが独自の美しさをもち、また語るに足る物語をもっているのである。」
自然淘汰は、自らの活動の痕跡を破壊しながら進む。
ミシェル・フーコーはカントの定義を引いて、人間とは「経験的=先験的二重体」と名付けた。
オレン・ハーマン著「親切な進化生物学者」ジョージ・プライスの伝記
*期待したような内容ではなく,素人が抱く進化論の理解を「理解」するには,何を知る必要があるか,グールドの失敗はどこにあったのかを延々と述べている。だが,グールドは自分で破滅したが,進化に関しては実に的確な指摘をしているという。
キスの天婦羅 ― 2015年08月13日

昨晩深夜,息子が泊まりに来て,朝早く釣りに行った。
長沢前の海岸付近でキスを釣ったそうで,たくさんの釣果があったのだけど,酔い止めの薬を忘れてしまい,早く切り上げたとのこと。にわか雨にあってずぶ濡れ。
息子は自分でさばいて,天婦羅を作ってくれた。大きなキスは身が厚く,ホクホクして,ビールによく合った。
他にナスと青唐辛子も揚げたけど,唐辛子はやはり唐辛子で全部は食べられない。醤油に漬けておくと,醤油も唐辛子もいい具合に辛くなって,ちょっとご飯に乗せて食べると美味い。
余った衣を家内が焼いてくれたものに,中濃ソースを掛けて食べてみると,B級グルメ的味がする。(^_^;)
長沢前の海岸付近でキスを釣ったそうで,たくさんの釣果があったのだけど,酔い止めの薬を忘れてしまい,早く切り上げたとのこと。にわか雨にあってずぶ濡れ。
息子は自分でさばいて,天婦羅を作ってくれた。大きなキスは身が厚く,ホクホクして,ビールによく合った。
他にナスと青唐辛子も揚げたけど,唐辛子はやはり唐辛子で全部は食べられない。醤油に漬けておくと,醤油も唐辛子もいい具合に辛くなって,ちょっとご飯に乗せて食べると美味い。
余った衣を家内が焼いてくれたものに,中濃ソースを掛けて食べてみると,B級グルメ的味がする。(^_^;)
最近のコメント