読み終えた本「武士道」2016年05月09日

武士道
読み終えた本「武士道」
新渡戸稲造著 大久保秀樹訳 角川ソフィア文庫(H27.5.25)

あまりに有名で説明は必要ないと思いますが,新訳が出たのでそれを図書館から借りました。
著者は文久二年の生まれで,武士の三男だった。幼くして英語を学び,札幌農学校の同期生に内村鑑三がいる。
同じ年生まれに,森鴎外,岡倉天心がおり,共に西欧に留学・遊学している。そんな時代だ。
ジョンズ・ホプキンス大学に学び,同期生には後の大統領となるウィルソンがいる。
フィラデルフィアのクエーカー教徒の娘,メアリーと恋仲になり,苦労の末結婚した。
こういう背景から,自らのアイデンティーを模索することになったのだろう。
武士道と騎士道との比較,日本独自の倫理観,価値観をいかに西欧人に理解してもらうか,その努力がこの著書となったのか。

以下,メモ
武士道と騎士道はほぼ同等のもので「ノブレス・オブリージュ:高貴な身分に伴う義務」であるが、その国特有に発展したものなので、あえて「bushido」と表記するのだと説明している。

「勇気と平静」で、昔の戦は、詩歌のやり取りもある、スポーツ的な要素もある、という例に、我がご先祖の話が引き合いに出されていた。
「衣川の合戦で、総崩れになった東軍の大将・安倍貞任は敗走しようとした時、これを追った源義家は貞任に「敵に後ろを見せるとは武士の恥」と大声で呼びかけると、貞任は馬を止めた。すかさず義家「衣のたてはほころびにけり」と下の句を詠むと貞任うろたえることなく「年を経し糸の乱れの苦しさに」と上の句を返した。これを聞いた義家は、貞任めがけて引きしぼっていた弓を緩め、敵将を逃した。」と述べ,戦場での平静・平常心を説明する。

「礼とは、敬虔な思いを込めて、こう言うことができるだろう、---長く耐え忍び、親切にし、妬まず、驕らず、ふくれず、無作法にふるまわず、欲張らず、怒らず、邪心を抱かないことだと。---」

外国人宣教師夫人が奇異に感じたこと。日傘を持たずに外出した時、日傘を持った日本人男性と出会って立ち話をしたが、彼はすぐに帽子を脱いで挨拶を交わした後、日傘を畳み陽射しの中に居た。新渡戸は、これは「他人への共感」だと説明する。

贈り物に関して西洋では、「良い品物だからあなたに差し上げる」だが、日本では「あなたは素晴らしい方なので相応しい品物など無いが、粗末なものではあるが受け取ってほしい」と云う。どちらも同じ事を言っているのだが、西洋は贈る品物自体を言っており、日本では贈り物をする気持ちを言っている。

カーライルの「恥はすべての徳,すべての良きふるまいと道徳を生み出す土壌である。」と同じことを,カーライルに先立つこと数世紀前に孟子が同じことを言っている。
しかし、新渡戸は、武士は名誉を重んじたが,背中にノミが飛んでいると注意してくれた町人をその場で切り捨てたというような,武士の行き過ぎた名誉心を紹介し,批判している。

人から謗られても,誹り返してはならない。そうすれば更なる高みに向かうと朱子学や陽明学の教えを紹介している。
(*武士は言い訳をしないということか。この話を思い出してしまう。ミュージシャン・細野晴臣の祖父,細野正文は鉄道員在外研究員としてのロシア留学の帰途,タイタニック号に乗り合わせた。沈没の際に他人を押しのけて救命ボートに乗ったと白人の一人に証言されたという、実は誤報が帰国後伝えられ,日本中から批判された。そのために名誉と地位を失ったが,生涯弁明しなかったという。)

切腹と仇討ち
切腹については、幕末から明治維新にかけて来日したイギリス外交官・ミットフォードの著書「昔の日本の物語」の中で、切腹に立ち会った時の描写をそのまま引用している。
これは、「神戸事件」の責任者として滝善三郎が切腹したものであるが、神戸事件には英国公使のパークスが居合わせており、外交問題に発展したのである。英文で紹介された切腹の凄まじい、しかし厳粛な様子が、世界にセンセーションを巻き起こすこととなった。

刀・侍の魂
暗殺者と幾度も対峙した勝海舟の「俺は一度も人を切ったことが無い」という言葉を引いて、抜かざる刀こそ、伝家の宝刀であることを説明している。

西洋のバラに対して、日本人の大和心をサクラに例えた。

「欧米流のキリスト教ー元来の創始者の慈悲や清らかさよりはアングロサクソン流の気まぐれや空想の入ったーは武士道という幹に接ぎ木するには貧弱な若枝である。」

*現代になっても,日本人の中には,「武士道」が形を変えて残っている。そのように意識したい。