雷神の左手 ― 2006年09月28日

24日に出光美術館へ。宗達・光琳・抱一の風神雷神図屏風などを鑑賞。
若い頃、江戸角凧を作ろうと思ったことがあった。竹で骨を削りだし、和紙を細く切ったものを巻き付け、日本画家が父親という方から頂戴した西ノ内紙に描く図柄を、何にしようかと迷った。絵心がないので、名画の模写ということにして、俵屋宗達の国宝「風神雷神図屏風」から、雷神を選んだ。その時に気が付いたことがあった。
雷神のバチを持つ左手の描き方がおかしい。右手はきちんと描かれているのに、左手は親指が無い。まるでどちらも右手の様だ。
今回の出光美術館の展示は、非常に興味深かった。最も古いという俵屋宗達の雷神図。光琳の模写、さらに酒井抱一の模写でも、左手は奇妙だ。光琳はバチで隠している。抱一に至ってはバチの丸みは更に増し、親指の位置を完全に隠してしまっている。3枚を較べてみて、今回、非常によく分かった。
どうしても気になるので、会場を去るとき、学芸員に面会できないか頼んだところ、あいにく大学へ出向いているとのこと。連絡のための電話番号とお名前をうかがった。N学芸員とおっしゃる。平日はほとんどおられるとのことで、やっと今日、連絡することができた。
件のことがらを話すと、「芸術故、これが正しい、間違いということはありません」との答え。おかしい描き方をしていることはもちろんご存じだが、見解はお持ちではないとのこと。宗達が参考にしたであろう古い雷神図が紹介されていたが、構図はほとんど同じで、やはり左手の描き方が曖昧だった。宗達はそれを踏襲したのか?との問いにも、「あるいはそうかも知れません」との返事だった。芸術には定説というものは存在しない、とのお立場で、明確な答えは得られなかった。謎は解けなかったが、専門家でも解らない、ということが判明しただけでも進歩した。
もっとも、あまりにつまらない質問なので、まともには答えてはもらえなかったのかもしれない。家内には「いつまで同じことを云っているの」と笑われた。
インターネットで検索してみると、同じことを云っている人がいた。「あれではどちらも右手だ」と。
若い頃、江戸角凧を作ろうと思ったことがあった。竹で骨を削りだし、和紙を細く切ったものを巻き付け、日本画家が父親という方から頂戴した西ノ内紙に描く図柄を、何にしようかと迷った。絵心がないので、名画の模写ということにして、俵屋宗達の国宝「風神雷神図屏風」から、雷神を選んだ。その時に気が付いたことがあった。
雷神のバチを持つ左手の描き方がおかしい。右手はきちんと描かれているのに、左手は親指が無い。まるでどちらも右手の様だ。
今回の出光美術館の展示は、非常に興味深かった。最も古いという俵屋宗達の雷神図。光琳の模写、さらに酒井抱一の模写でも、左手は奇妙だ。光琳はバチで隠している。抱一に至ってはバチの丸みは更に増し、親指の位置を完全に隠してしまっている。3枚を較べてみて、今回、非常によく分かった。
どうしても気になるので、会場を去るとき、学芸員に面会できないか頼んだところ、あいにく大学へ出向いているとのこと。連絡のための電話番号とお名前をうかがった。N学芸員とおっしゃる。平日はほとんどおられるとのことで、やっと今日、連絡することができた。
件のことがらを話すと、「芸術故、これが正しい、間違いということはありません」との答え。おかしい描き方をしていることはもちろんご存じだが、見解はお持ちではないとのこと。宗達が参考にしたであろう古い雷神図が紹介されていたが、構図はほとんど同じで、やはり左手の描き方が曖昧だった。宗達はそれを踏襲したのか?との問いにも、「あるいはそうかも知れません」との返事だった。芸術には定説というものは存在しない、とのお立場で、明確な答えは得られなかった。謎は解けなかったが、専門家でも解らない、ということが判明しただけでも進歩した。
もっとも、あまりにつまらない質問なので、まともには答えてはもらえなかったのかもしれない。家内には「いつまで同じことを云っているの」と笑われた。
インターネットで検索してみると、同じことを云っている人がいた。「あれではどちらも右手だ」と。
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