読み終えた本「生物のかたち」 ダーシー・トムソン(抄訳)2012年07月04日

生物の形
「生物のかたち」東京大学出版会(抄訳)を読み終えた。
川崎市立図書館から借用。昭和48年10月5日の印。

むすびが感動的なので,書き写すことにする。

10 むすび

 読者は,この書物の中では現代生物学の基本ともなっている考え方が重んじられていないというように感じておられることと思う。しかし,筆者としてはその考え方に反駁するために本書を書いたのではない。筆者の目的は,かたちを数学的にとり扱うことによって,形態学者の記載的な仕事を助けるとともに,成長とかたちを理解するうえに本質的な問題を提示することであった。また,数学者に対しても,未開の分野が彼らの仕事をまっていることを知ってもらおうと思ったのである。
 筆者の数学的技術はまことにつたないものであり,その探求もまだ序の口の段階ではあるが,それでも数学の有用さや美しさは自分なりに理解できていると思っている。数と秩序と位置の三つは,万物を理解するうえでの手がかりになるものであり,それが数学者の手にかかると,宇宙の全貌の第一時的なスケッチさえも生み出すのである。世界の調和というものも,かたちと数によって明らかにされるし,精神や自然哲学さえもその内面に数学的な美を秘めているのである。ミルトンは“地球の円卓の上に坐し給う神”を礼賛して次のようにいった。「神はその御手の窪みにある海や河に大きさを与えて,天蓋に弧の長さを割りあて,地上の砂を計量し給うた」。
 このように,日月星辰の動きのみならず,世界中の万物が数で表現され,自然法則で規定できる,というものがプラトンやピタゴラスの教えであり,ギリシャ人の知恵でもあった。生物,無生物,動くもの,動かないもの,を問わず,また,世にすむわれわれも,われわれのすむ世も,みな同様に物理と数学の法則の支配下にあるのである。空間や時間の概念は数学の領域内にあり,そこでも数学の支配は絶大である。「数学の秩序によらなければ,何物も存在しないし,何事も起こらないのである」。ーーこれは60年前のある数学者の言葉である。
 雄弁家であり,アリとハチの学徒であった,かの偉大な博物学者ファーブルによって,“かたちと数の科学”が豊かな愛情と洞察力をもって賛美されている。彼はプラトンやピタゴラスの精神を受け継ぎ,数というものに万事の成因をみるとともに,宇宙の天蓋を開く鍵を見出した。筆者は,いまは亡きファーブルへの深い尊敬の念をもってこの書物を締めくくりたいと思う。(D'Arcy Wentworth Thompson : On Growth and Form,1917)

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