読み終えた本 遠い崖 第2巻 薩英戦争2018年02月04日

占領された下関砲台
読み終えた本
遠い崖 第2巻 薩英戦争
ーアーネスト・サトウ日記抄ー 萩原延壽

生麦事件の賠償金は、紆余曲折の末、英国の要求通りの額が幕府負担分が支払われたが、薩摩藩は依然支払いを引き延ばしていた。交渉のため、7隻の英国艦隊は、横浜から5日掛かって鹿児島に着いた。石炭節約のため大部分を帆走したため。このとき、生麦事件の賠償金の一部は積まれたままだった。
艦隊の砲の総数は、90門だった。

幕府の役人らは艦隊への同乗を断り、幕府の船で英国艦隊の後を追ったのは、薩英の仲介役にでもなるつもりかと思いきや、到着は薩英戦争終了後。大幅に遅れたのは非力な60馬力のエンジンにあるのではなく、幕府内の開国派と攘夷派の板挟みによる折衷案の結果だったらしい。

薩摩は英国との貿易を望んでおり、この交渉をその為に利用する腹積もりがあったが、英国側の賠償要求書にあった事件の首謀者の首を差し出せ、という項目が、責任者(すなわち島津三郎こと久光)の首と幕府側が勝手に解釈した文書が存在した。

鹿児島湾に投錨した旗艦に、薩摩の役人達は小船で何度も来艦し、上陸要請や物資の補給を申し入れたが、英国側に拒絶された。うち、40名程の、回答書を持参した藩の高官と称する一行も乗艦したが、実は生麦事件の当事者2名も加わっており、居合わせた英国公使と艦隊司令官を斬り殺す手筈だった。陸上からの決行の合図を待っていたが、急遽、引き返す事になり、公使らは命拾いしたという。この計画には久光も賛同していた。

後日届けられた回答書は、責任は全て幕府にあるというもので、首謀者二人は行方不明という、英国側には受け入れられない内容だったため、強硬手段に出る事になり、湾内に潜んでいた薩摩の汽船三隻を拿捕する。このとき、藩命に背いて船を待機させた責任者として切腹が待っているからと下船せず、神奈川で放免された二人が、船長の五代友厚と、通訳で後の外務卿・寺島宗則だった。

この汽船の拿捕を切っ掛けに、薩摩は砲撃を開始する。

アーガス号には110ポンドのアームストロング砲が装備されていた。艦隊の実戦での使用はこれが最初だった。

砲台の破壊にとどまらず鹿児島の街を焼いたことは、後日、英国本国の議会でも問題視された。

英国艦隊が旗艦の艦長・副艦長が砲撃されて戦死し、他に7名の戦死者を出したのにも拘らず、勝敗の決着をつけずに退去したのは、石炭・糧食・弾薬の供給不足が原因と思われるが、薩摩藩はそれを我が方の勝利と喧伝し、幕府も賞賛した。しかし、火砲の優劣は比べようもなく、英国の砲は薩摩砲の射程の4倍もあったし、ロケット砲による火災を含め、薩摩藩の損害は甚大だった。

英軍が上陸しなかったのは、五代らが英軍に問われて、上陸すれば勝ち目はないと言ったからだった。薩摩藩は英軍の上陸を想定して、準備が整っていた。

鹿児島の街を焼いたことは、英国で人道的立場から非難され、文明国の行う戦争ではないと糾弾された。新聞に公文書が公開されていて、当事者個々人の責任が問われた。後の大戦での米軍による無差別爆撃を思うと、当時の英国の世論との違いに、感慨深いものをおぼえる。

元々、英国と一戦交えるなど望んでいなかった薩摩は、軍艦購入を持ち掛け、賠償金を支払うことで急速に英国に接近し、英国を驚かす事になる。生麦事件の実行犯の差し出しや処刑は結局うやむやになった。

オールコックが戻って来て、堅物の代理公使ニールと交代する。サトウはニールに昇進を願い出る。
そんな時期に起きたフランス狙撃兵将校暗殺事件。
「その右腕は、手綱を握ったままの状態で、すこしはなれた場所で発見された。顔の脇が切りおろされており、一ヶ所は鼻をつらぬき、一ヶ所は右の頸静脈を切断し、もう一ヶ所は脊椎をたちわっていた。左腕は、ただ皮一重でぶらさがっており、胴の左わきは、心臓をさらけ出していた。」
「どの切り口も、まったく手ぎわよく、あざやかであった。ということは、このような暗殺者の手に握られた日本刀が、いかに強力な武器であるかを示すものである。」
日本刀で斬り付けられた時の恐ろしさが如実に伝わって来る。

第二次遣欧使節団は、明らかに幕府の時間稼ぎ。

長州藩による米国艦艇砲撃事件の解決に、伊藤俊輔(博文)と井上聞多(馨)2名が尽力したが、結局、藩主の意見を聞くだけに終わり、連合艦隊が下関に向かう。サトウも英軍提督の通訳として乗船。同僚のウィリスは外されたのを悔しがった事が彼の手紙でわかる。サトウの日記に書かれていない分は、このウィリスの手紙に負うところが多い。

艦隊の主力は英国で、次いでフランス、オランダで、日本に開国を迫った米国は砲一門の艦船しか参加していない。これは米国の軍艦が出発直前に故障し、商船に砲一門を移設したためだった。

この頃になると、サトウは日記を一部候文で書いている。

占領された砲台の写真をベアトが撮っている。文章だけよりも、写真の説得力は絶大だ。

休戦協定が結ばれ、長州藩主の批准を待つ間、サトウはベアトを伴って家老の井原主計を訪ねた。写真を撮る為だったがベアトが興味を失って写真は撮られなかった。サトウは井原に伴われて料理屋で食事をするが、アワビ、スイカ、スッポンを食べたが、下関なのにフグは食べなかった。フグが解禁されたのは、伊藤が総理大臣になってからだ。

サトウは横浜へ出航する前に、伊藤俊輔の用意した西洋風の夕食に招かれている。伊藤は翌日にもサトウと出かけていて、急速に親しくなっている。サトウにとっては、倒幕側の人物との人脈がその後、非常に役立つのだが、この時は、伊藤が日本語の堪能なサトウを気に入ったのだろうと思える。

薩英戦争当時、電信はセイロンより東には届いていなかったので、横浜とロンドンの手紙の往復には4ヶ月かかった。本国では軍事行動は慎むようにとの指示を出していたが、郵便事情によって、オールコックの連合艦隊による下関攻撃は、本国のラッセル外相の意向とは全く正反対ものとなってしまった。

p313 サトウは、後年の回想録『一外交官の見た明治維新』の中で、当時の横浜の外国人社会のことを、あるイギリスの外交官は「ヨーロッパの掃き溜め」と呼んだと書いているが、とにかく、ウィリスは、結婚の対象として自分にふさわしい女性に横浜で出会うことが、到底ありえないと、考えていたようである。

*サトウは日本語の読み書きも益々堪能になり、倒幕派の伊藤俊輔(博文)と井上聞多(馨)らに信頼され、親しく交わった。この為、英国は幕府側に援助しつつも、倒幕派の情報も入ってきた。歴史的な場面に通訳として立ち会ったサトウの書き残したものは臨場感に満ちたものになっている。フランスは幕府にぴったり寄り添ったので、やがて横須賀にドックや工廠を造ることになる。

鳥見散歩 2月6日(火) 晴2018年02月06日

鳥見散歩 2月6日(火) 晴
長沢川
コガモ♂4♀4、セグロセキレイ、ハクセキレイ、イソシギ。
丘を越えて下りるまでに、鳥仲間のS夫人、探鳥会でお会いしたご婦人、通研先輩で鳥仲間のI博士、先般、野比川で鳥を撮っていたご老人にお会いして立ち話。
野比川沿いを歩いていると、イソヒヨドリの♂が青地で盛んにお辞儀をしている。ディスプレーの様にも見えるが不明。(動画あり)
青地横の畠にいたご婦人に会釈したら話しかけられた。「耕したあとに、青い鳥が来るけど、何ですか?」イソヒヨドリのオスではないでしょうかと、iPadで画像を見せるとそれだ!とおっしゃる。そうしているうちにそのオスがやってきて何かついばんだり、置いた鍬に止まったりしている。
ご婦人、私は山女だったけど、もう北アルプスとか歩けないので、畠デビューだとのこと。明るい人で、鳥を大事にしてくれそうだ。
他にシロハラ、ホオジロ、アカハラなど。

仁和寺展2018年02月10日

仁和寺展
家内、娘、孫のおまけで、仁和寺展へ。
事前に「ぶら美」で観ていたので、楽しめた。
写真を撮って良いところがあるのは、多少進歩してきている。
裏の廻廊壁画は、高精細の大型スキャナで取り込んだそうで、半端じゃない再現されたプリント。修行僧が雑巾掛けして剥げた所の再現も素晴らしい。
裏に回って、風神のケツもパチリ。
一階の鶴屋吉信で一休み。アール・デコ風の照明が素敵。

*孫が熱心に最後までしっかり見ていたのに驚いた。

鎌倉自主探2018年02月11日

アオジ
鎌倉自主探 2018/02/11 晴
昨夜の雨で、山道はぬかるんでいた。
佐助稲荷から大仏ハイキングコースへ登る途中、お狐様が多数。夜は怖そう。天明元年は、1781年4月から。翌年大飢饉が起きる。
アオジの写真を撮ってみたけど、正面顔は結構怖い。♂の若鳥だろうか。
利発で鳥を良く知っている、それでいて天狗になっていない小学校低学年の男児。両親と一緒。将来が楽しみだ。感想文のロシアンルーレットを私がやることになって、引いてみたらそのご家族に当たった。悪気はないので許してね。
*さえずりはまだ聞けず。オオイヌノフグリが咲いていた。
鳥合せ
カワウ、トビ、ハイタカ2、ノスリ、コジュケイ、キジバト、ヒメアマツバメ、アオゲラ、コゲラ、キセキレイ、ハクセキレイ、ヒヨドリ、ジョウビタキ♀、イソヒヨドリ♀、シロハラ、ツグミ、ウグイス、エナガ、ヤマガラ、シジュウカラ、メジロ、ホオジロ♂♀、アオジ、カワラヒワ、イカル、シメ、ウソ♂♀、スズメ、ムクドリ、ハシボソガラス、ハシブトガラス、番外ドバト、ガビチョウ

鳥見散歩 2月6日(火) 晴2018年02月15日

ヒレンジャク
鳥見散歩 2月15日(木)
トピックだけ。
丘の上に出て、下るときに、あ、ヤドリギを見ておくのを忘れたと双眼鏡を向けていると、「キリッ」というような声がして、ヒレンジャク(1羽)が止まりました。やりましたね。
今年は先日、埼玉だかで目撃例があったので期待していたのですが、やって来ました。
実を食べるかと思ったら、しばらくして何もせずに野比側の林へ飛び去りました。
これからが楽しみです。

あとは、久里浜霊園まで戻ってくると、川でハシボソガラス(若い個体)が水面を盛んに突いていた。ユスリカらしいものが産卵しているが、羽化前の浮いているサナギを食べているようだった。しばらく見ていたら、石垣の上に上がり、マテバシイの実を飲み込んで喉に貯めた。どうするかと見ていると、さらに道路の上の落ち葉の中に貯食した。カラスが貯食するのを初めて見た。

うちのネコさん2018年02月23日

うちのネコさん
うちのネコさん、生まれた時の栄養状態が悪かったのか、妙に骨が細くて頼りない子ですが、尻尾がやたら長くて、座ると前脚に巻き付ける。
首輪は自作、鈴は横浜・元町、シルバー大野のスターリングシルバー。ここだけ贅沢。

鳥見散歩 2月28日(水) 晴2018年02月28日

コサギ
鳥見散歩 2月28日(水) 晴
日差しがあって暖かい。上着なしでネルのシャツ一枚。
霊園下でウグイスが囀っていた。初認ではないと思うが、そんな季節だ。
長沢川にはコガモ♂2♀5、コサギがガサガサをしていたが、飾り羽根が伸びていた。
越冬蝶のキタテハが日向ぼっこをしていた。ミモザ(ギンヨウアカシア)がすっかりきれいに咲いていた。
例の農夫には会えず、他の人が数人でキャベツの収穫をしていた。横須賀葉山農協の段ボール箱を積んだ軽トラ3台。
丘の上ではアオジが5羽くらい。鳴かないで隠れた。レンジャクは居なかった。
野比川でもウグイスが下手くそな囀り。コゲラか、音が大きかったのでアオゲラだろうか、ドラミングが聞こえた。キツツキ類は囀らずに、ドラミングがその代わり。
長沢川に戻ると、カルガモ5、コガモ♂1♀2。近づくとコガモのペアが飛び去ったが♀が1羽残った。連れ合いがいないのだろうか。子供だったのかもしれない。
*山鳶の野菜直売所に寄って、ネギ、ホウレンソウ、大根、ふきのとうを購入。安いわけではないだろうけど、新鮮さを重視して。早く食べないと行けないけどね。ふきのとう味噌は今夜作るかな。