読み終えた本「ま・く・ら」 ― 2013年05月26日
ま・く・ら (本編)
もひとつま・く・ら (続編)
柳家小三治
出版社: 講談社 (1998/6/4)
本編
めりけん留学奮戦記、玉子かけ御飯、駐車場物語、昔の寄席、バリ句会、CD講座、塩の話など,
続編
出演料代わりにマタギから手に入れた熊の胆に始まり、芸者屋の娘・笑子との切ない、数奇な縁、句会、パソコンはバカだなど。
(Amazonの内容紹介から)
昔から小三治は好きだったが,最初聞いたときはへただなぁと思った。あれはいつ頃だったかは覚えていないけど,段々上手くなって味が出て来るようになった。
この本は知らなかった。彼の独演会などでは,枕が非常に長いとのこと。確かに長い。落語自体よりも長いことがあったのではなないでしょうか。実際,枕を読むだけで30分くらいは掛かる。速読ができないので,そんなものです。で,長いでしょ?
趣味のオートバイからオーディオまで,自分の好きなことの蘊蓄から仰天エピソードを次々と喋って行く。文章で読むよりも聞いた方がもっと面白かろう。
で,一番良かったのは何かと言えば,「笑子(えみこ)の墓」だった。(続編)
小三治が真打ちに成りたての29歳の時,沼津のボウリング(これも趣味の一つ)場で一人で遊んでいたところへ,歳の頃なら二十歳前の娘,本に寄れば「・・エー,とにかく抜けるように色が白かった。ちょっと広めのおでこの,生え際がとてもきれいでねぇ,鼻筋が通って,口もほどほどに締まって,ちょっと面長の,目ははっきりとして切れ長っていうんだから,かなりな美人と,こう思って良いでしょう。」と。
その娘が小三治につかつかとっと歩み寄り,出し抜けに,
娘「落語をやってください」
小三治「え?」
娘「落語をやってください。テレビであんなガチャガチャしたことやってもらいたくないんです」
ちょうど小三治はテレビで有名になり,たくさんの番組に出ていた。ボウリングだって,トーナメントで女子プロの並木と決勝になって勝ったという腕前。
その小三治にそれだけいうと,つつっといなくなってしまった。
ボウリングの後は独演会があるのが,時間があったので車のワックスなんか掛けて時間をつぶし,その娘が出て来るのを待っていた。出て来た娘に「あ,先ほどはどうも」と話しかけると,その娘は「私何に見えます?」と自分から素性を打ち明けた。
自分は芸者屋の娘だ,というのです。自分は聞きに行けないけど独演会はどこでやるのと聞いて来た。
独演会の会場へ行くと守衛さんが「お届けものがあります」と新茶の缶の詰め物で熨斗が付いている。名前が「笑子」とだけ書いてある。守衛は「ウメ・・・の笑子さんからです」。小三治はしばらくしてからお礼をしようと,沼津にある「梅の付く」三軒の芸者置屋を調べ,ここだろうと見当を付けてお礼の品を送ったがなしのつぶて。
それっきりになって,ずっと気になっていた。いつか礼を云いたいと。
この話をした5年前に沼津にまた仕事で出向いた時に「芸者笑子」のことを知っていたら教えて欲しいと色々な人に頼んだところ,良く知っているという人に出会った。ずっともう一度会いたいと思っていた小三治は是非会いたいととその人に云った。その返事は「ええ,それがねぇ,あの子は五年程前に死にました」というものだった。小三治は涙が止まらなかった。
その後,もう20年も前のことなので,その芸者置屋を探し出すのも大変だったが何とか見つけ,詳しく話を聞くことができた。なんでもその子は捨て子で,芸者に拾われ育てられることになるが,芸者の女将が不憫に思って引き取り,置屋で育てられたとのこと。結婚もし,41歳になったとき,風呂場で滑って後頭部を湯船にぶつけてなくなったという顛末を聞き出す。
墓を訪ねて,親の墓にも滅多に行かないのに,二日続けて墓参りをしたという。こういうのって,すごく切ないじゃありませんか。実に切ない。読んでみて欲しいです。
もひとつま・く・ら (続編)
柳家小三治
出版社: 講談社 (1998/6/4)
本編
めりけん留学奮戦記、玉子かけ御飯、駐車場物語、昔の寄席、バリ句会、CD講座、塩の話など,
続編
出演料代わりにマタギから手に入れた熊の胆に始まり、芸者屋の娘・笑子との切ない、数奇な縁、句会、パソコンはバカだなど。
(Amazonの内容紹介から)
昔から小三治は好きだったが,最初聞いたときはへただなぁと思った。あれはいつ頃だったかは覚えていないけど,段々上手くなって味が出て来るようになった。
この本は知らなかった。彼の独演会などでは,枕が非常に長いとのこと。確かに長い。落語自体よりも長いことがあったのではなないでしょうか。実際,枕を読むだけで30分くらいは掛かる。速読ができないので,そんなものです。で,長いでしょ?
趣味のオートバイからオーディオまで,自分の好きなことの蘊蓄から仰天エピソードを次々と喋って行く。文章で読むよりも聞いた方がもっと面白かろう。
で,一番良かったのは何かと言えば,「笑子(えみこ)の墓」だった。(続編)
小三治が真打ちに成りたての29歳の時,沼津のボウリング(これも趣味の一つ)場で一人で遊んでいたところへ,歳の頃なら二十歳前の娘,本に寄れば「・・エー,とにかく抜けるように色が白かった。ちょっと広めのおでこの,生え際がとてもきれいでねぇ,鼻筋が通って,口もほどほどに締まって,ちょっと面長の,目ははっきりとして切れ長っていうんだから,かなりな美人と,こう思って良いでしょう。」と。
その娘が小三治につかつかとっと歩み寄り,出し抜けに,
娘「落語をやってください」
小三治「え?」
娘「落語をやってください。テレビであんなガチャガチャしたことやってもらいたくないんです」
ちょうど小三治はテレビで有名になり,たくさんの番組に出ていた。ボウリングだって,トーナメントで女子プロの並木と決勝になって勝ったという腕前。
その小三治にそれだけいうと,つつっといなくなってしまった。
ボウリングの後は独演会があるのが,時間があったので車のワックスなんか掛けて時間をつぶし,その娘が出て来るのを待っていた。出て来た娘に「あ,先ほどはどうも」と話しかけると,その娘は「私何に見えます?」と自分から素性を打ち明けた。
自分は芸者屋の娘だ,というのです。自分は聞きに行けないけど独演会はどこでやるのと聞いて来た。
独演会の会場へ行くと守衛さんが「お届けものがあります」と新茶の缶の詰め物で熨斗が付いている。名前が「笑子」とだけ書いてある。守衛は「ウメ・・・の笑子さんからです」。小三治はしばらくしてからお礼をしようと,沼津にある「梅の付く」三軒の芸者置屋を調べ,ここだろうと見当を付けてお礼の品を送ったがなしのつぶて。
それっきりになって,ずっと気になっていた。いつか礼を云いたいと。
この話をした5年前に沼津にまた仕事で出向いた時に「芸者笑子」のことを知っていたら教えて欲しいと色々な人に頼んだところ,良く知っているという人に出会った。ずっともう一度会いたいと思っていた小三治は是非会いたいととその人に云った。その返事は「ええ,それがねぇ,あの子は五年程前に死にました」というものだった。小三治は涙が止まらなかった。
その後,もう20年も前のことなので,その芸者置屋を探し出すのも大変だったが何とか見つけ,詳しく話を聞くことができた。なんでもその子は捨て子で,芸者に拾われ育てられることになるが,芸者の女将が不憫に思って引き取り,置屋で育てられたとのこと。結婚もし,41歳になったとき,風呂場で滑って後頭部を湯船にぶつけてなくなったという顛末を聞き出す。
墓を訪ねて,親の墓にも滅多に行かないのに,二日続けて墓参りをしたという。こういうのって,すごく切ないじゃありませんか。実に切ない。読んでみて欲しいです。

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