三丁目の夕日2005年12月01日

先月30日、野暮用で有給休暇。用事は早く終わり、品川プリンスホテルの映画館で「三丁目の夕日」を一人で鑑賞。よかったですよ、ちょうど私の子供の頃の話。CGを上手く使っていて、こういう使い方なら賛成です。

東京タワーには思い出があります。完成した小学校5年くらいの時に、同級生数人と自転車で行き、エレベータを使わず、階段を歩いて展望台まで登りました。親友T君にこの話をしたら、「僕も一緒だった。たしか、展望台まで階段を登っても同じ料金で、ノートと鉛筆(下敷き?かも)が記念品としてもらえたと記憶しています。」ということでした。T君の記憶力は抜群なのです。月島から芝まではそれほど遠くはないのですが、小学生には冒険でした。行きは、当時まだ高いビルがなく、映画のようにどこからでもタワーが見えたので簡単でしたが、帰りはそうはいかないので、道に迷って、暗くなってから自宅にたどり着いたのを思い出します。
月島には都電が走っていましたので、映画のそれは、まさに私の子供の頃の情景が再現されていました。

それにテレビ。当時、お蕎麦屋さんと我が家にしか無かったときは、近所の方が大勢見にいらしたことがありました。柔道の町道場をやっていたので、柔道家の父は格闘技が大好き。稽古が終わると弟子達と「力道山」のプロレスを観ていた、なつかしい光景もそのままでした。

二十四の瞳2005年12月02日

BS2で木下恵介監督の「二十四の瞳」をやっていました。
戦前、戦中、戦後を見事に描いた作品。初めて観ました。
戦後でなければ決して描かれなかった内容が随所に見られ、反戦映画であることも良くわかります。

高峰秀子の愛らしさにうっとり。薬師丸ひろ子とイメージがダブるのは、先日の「三丁目の夕日」のせいかも。
キャストを見ると懐かしい俳優さんの名前がたくさん。
天本英世が二枚目俳優だったことを知りました。
そういえば、笠智衆が、横須賀線で前の席に座っていたことがありました。素晴らしい役者さんでした。

映画では、懐かしい唱歌、童謡、そして軍歌が沢山登場しました。スコットランド民謡が多かったのはなぜでしょうか。
「ユリの模様の弁当箱」の逸話のバックに、賛美歌の「いつくしみ深き」が流れていました。ユリは聖母の象徴ですが、何か意味があったのか、分かりませんでした。
というのも癪なので調べてみたら「「二十四の瞳」は、キリスト教系の雑誌「ニューエイジ」に昭和二十七年二月号から十一月号にかけて発表された。」という一文が検索に掛かりました。それ以上は不明。「星の世界」としても知られていますが、私は賛美歌のこの歌詞が好き。

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いつくしみ深き
讃美歌312番(1954年版)

1番
慈しみ深き友なるイエスは、罪、咎、憂いを取り去りたもう。心の嘆きをつつまず述べて、などかは下さぬ、負える重荷を。
2番
慈しみ深き友なるイエスは、我らの弱きを知りて憐れむ。悩み哀しみに沈める時も、祈りに応えて慰めたまわん。
3番
慈しみ深き友なるイエスは、変わらぬ愛もて導きたもう。世の友われらを捨て去る時も、祈りに応えて労りたまわん。
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#1954年はこの映画の制作年でもあります。しかし、関連は依然不明のまま。
#検索した内容を無断で拝借しています。感謝。

ほろ酔いコンサート2005年12月04日

3日(土)横浜関内ホールでの「加藤登紀子 ほろ酔いコンサート2005」へ行ってきました。
若い頃から一度は行ってみたかったのですが、やっと今回実現しました。

親友T君に今日会って、その話をしたのですが、もう三回も行っているという彼の話では、東京でのコンサートでは升が配られて樽酒を注いでくれるとのことでしたが、今回の会場では、紙コップでした。樽は四斗樽でしょうか、かなりの量があったと思いますが、開演までには無くなってしまったようです。
ちゃんとおつまみを買ったおいたので、一杯のお酒も楽しめました。「大関」が協賛。杉の香が清々しい、ちょっと甘めの飲みやすいお酒でした。

コンサートは、期待通りのなかなかパワフルなもので、「お登紀さん」老いても(失礼)ますます盛ん。南アフリカからのミュージシャンも交え、三度も衣装を替えて、ステージで飲みつつ、歌い、語り、煽り、なかなかのステージでした。

聴衆は団塊かそれ以上の女性が圧倒的に多い。でもお登紀さんは男が好きと言ってはばからない。そんなお登紀さんが好き。

トレーニング2005年12月05日

二日ほど運動ができなかったので、普段はお休みする月曜日ですが、フィットネス・クラブへ行きました。

運動メニューは、いつもよりちょっと短めのストレッチの後、トレッドミルで30分の走り。(プラスクーリング・ダウン5分)5.7km、330キロカロリー。

少しだけペースを上げたので、大腿四頭筋がちょっと疲労。ミストサウナの後は、水風呂で脚を冷やて、サウナに8分。たっぷり汗をかいて、また水風呂で脚を良く冷やして、あがりました。

ちょっと強めの運動のあとは冷やす方が後が楽です。

最近は「がんばらない」を心がけて、無理はしません。が、ちょっと今日はきつかったかも。少し腰が痛い・・(^_^;)

#明日、火曜日はいつも水泳、クロールで1000m。

ヴェトナムのフォー2005年12月05日

昨日の夕方、小腹が空いたので、歌舞伎座に隣り合わせのヴェトナム料理店「チョウ ベトナム」でフォーをいただきました。親友T君と一緒だったので、二人で違うものを注文。トッピングが牛肉と鶏肉。
小鉢をもらって取り分け、互いのフォーを試食。

なんのことはない、具が違うだけでスープなどは同じものでしたが、香草の強い香りが心地よい。

寒かったので、暖かい麺は嬉しい。味も大変良くて、満足しました。レモンと二種の味噌(甜麺醤のような甘い味噌と、トウガラシの利いた味噌)が付く。レモンよりライムかな?と思ったのですが、現地でのことは知りません。

アジアを旅行したことがないので、いつかアジアン・フードを現地でたっぷり味わってみたいものです。

食後にベトナム風コーヒー。カップの上に粉にまで挽いたコーヒーを濾過するものが乗っている。ひとりパーコレータみたいな感じ。底にコンデンスミルクが溜まっている。豆はジャワ・ロブスターを強く煎ったものか?甘いコンデンスミルクと混ぜてちょうど良い風味になるような気がしました。ヴェトナムの熱い空気を想像しながら飲む。なかなかよろしい。

筋肉痛2005年12月06日

昨日はちょっときつく走った割には、脚を良く冷やしたので、階段を下りるときも筋肉痛は感じませんでした。やはり、きつい運動の後は暖めてはいけない、ということがよくわかります。

プロ・ボクサーも試合の後は冷たいシャワーを浴びるとか。確かTVでエディー・タウンゼントトレーナーが、顔が腫れ上がっている試合後の選手に「冷たいシャワーね、熱いのダメ」と言っていたのを思い出します。

昨日のトレッド・ミルは、15分後に6分/キロにしたのですが、これでももうきつく感じる歳になってしまいました。10年前なら5分/キロが普通だったのに。

自分に言い聞かせる。「がんばらない、がんばらない、・・・」

管弦楽組曲第2番2005年12月17日

フルートを始めて3年が過ぎた。
アンサンブルなので個人指導ではない。
それに日頃あまり熱心に練習するわけでもないので、さっぱり上達しない。それでも3年も吹いていれば、それなりに音は出るもので、簡単な曲なら初見でも少しは吹ける。しかし、決して上手なわけではない。

今日は先生がマルセル・モイーズが著した教則本をお持ちになった。見せていただいたが、何が書いてあるのか、残念ながらさっぱりわからない。書き込みがたくさんある。
先生は芸大出身なので、当たり前かもしれないが、こういう本で勉強をされたのかと、ただただ感心する。

先生と生徒の技量というものには、飛んでもない大きな壁があって、今の自分がどう努力しても、足下にもおよばないが、そんな絶望感とは裏腹に、練習のたびに何かに感動して、学ぶものがある。それが良い。

少しでも何かが出来るようになるという喜びは、一生持ち続けたいものだ。まるで小学生の作文のようだが、正直、そう感じた。

リコーダーでヘンデルの有名な4つのソナタが、ヘタなりにも吹けるようになったように、いつか、バッハの管弦楽組曲第2番を吹けるようになりたい。上手でなくとも良い。ゆっくりでも、全曲吹けるようになりたいという希望だけは捨てるまい。

しかし先は遠い。まだやっとメヌエットが吹けるかどうかという段階だ。やれやれ。

ミサゴの寿司2005年12月19日

ミサゴというタカがいる。
昨日の海辺での探鳥会、観察者の間近でホバリングを行い、しばらくして翼を折りたたみ、急降下!
ダイブするかと思いきや、水面を擦っただけで再び上昇。
タッチ・アンド・ゴーであった。しくじったのだろう。

鶚鮨(みさごすし、あるいは、みさごずし)というものがある。
広辞苑に依れば、
「ミサゴが岩陰などに貯えて置いた魚類に潮水がかかって自然に鮨の味となったもの。」

辞書に載るくらいだから、そういうものを食した人があったのだろう。どんなものなのか、一度お目に掛かってみたいと思っている。

寿司屋の屋号にしたら、ちょっと気が利いているような・・
ホーク・ウォッチャーにしか受けないかもしれないが。

ワッペンテストはサメの青2005年12月21日

ジョギングを始めたのは、31歳の時。その3年後にロード・レーサーをセミオーダーで組み立てた。さらにその3年後、娘が通っていたYMCAの水泳教室にアダルト・クラスがあるというので入会した。ジョギング(ランニング)を始めて27年になるので、水泳歴は21年ということになる。

自分でも驚くほど永くやってはいるのだが、フルートと同じでさっぱり上達しない。YMCAに通い始めて1年で1個メ(100m個人メドレー)が出来るようにはなったが、上達が著しかったのは最初だけ。如何せんクロールが速くない。

速い人のフォームを眺めて真似をしてみるが、未だにどこがどう違うのか、さっぱりわからない。自分なりに工夫はしても、目に見えて上達はしないし、どうがんばっても速いというレベルには達しない。

情けなくなりつつも、毎回何かしらの工夫をして、手のかき、足の打ち方を変えてみる。その繰り返しだ。「おっ、こうすれば、いくらか速くなる・・」と思っても、体力が付いていかないので続かずフォームがくずれて、元の木阿弥。

始めて間もない頃は、教育テレビの水泳教室をビデオに撮って、繰り返しみては、あぁでもない、こぅでもないとやっていたのが懐かしい。

ちなみに、ワッペン・テストはYMCAで子どもが受ける泳力テスト。リーダーが戯れ程度にレッスンに取り入れて、受けた結果がサメの青。その上はイルカ。イルカは選手クラス。とてもそこまではいかなかった。

上達はしないが、止めるつもりもない。ジョギング、自転車(最近はさっぱり乗らないが)水泳、筋トレはいつまでも続けるつもりだ。トライアスロンに挑戦するつもりは毛頭無い。脊椎分離症、すべり症の身ではあるが、なんとか毎日過ごせるのは運動のおかげと思って精進している。

今夜はトレッド・ミルでジョギングの予定。サウナのあとのビールを楽しみに・・・

クリスマス・イブ2005年12月24日

いままでは、ほとんど、電子メール(最近はだたメールといえば携帯メールか、電子メールのことになってしまったが)や手紙と同じように、「です体:ですます体」で書いてきたのだが、どうも「だ体」の方が書きやすいので、これからは「だ体」でいく。

今朝は早朝探鳥会で6時に起きたので、探鳥会終了後の朝食をとったら眠くなって午後まで寝てしまった。午後から年賀状をパソコン・ソフトで印刷した。Macユーザには選択の余地は少ないので、宛名職人を使っている。交際範囲は知れているが、それでも130名余に出すとなれば、結構時間が掛かる。

やっかいなのは、このパソコン(iMcac G5)になってから、OSX用にバージョンアップしたからで、若干使い勝手が違う。差出人登録のデータがなぜか不完全でやり直しになり、かなりの時間を要した。

おまけに、住所録からの印刷で、印刷対象を選択するやりかたを間違えて、ダブって6枚も印刷してしまった。

どうも、毎年、同じようなことを繰り返しているようで情けない。

自分が情けないのか、ソフトが洗練されていないのか、はて?どちらなのだろう。自分ではソフトの責任だと思っている。さて、どちらが本当なのだろうか。

今夜はクリスマス・イブ。幼児洗礼を受けただけの似非クリスチャンの私だが、ささやかに、キリストの誕生を祝った。本当は明日なのだが・・・

「かれらはその劍(つるぎ)をうちかへて鍬となし、その槍をうちかへて鎌となし、國は國にむかひて劍をあげず、戦闘(たたかひ)のことを再びまなばざるべし  イザヤ書第二章四節」年賀状に添えた一文だ。

文語訳旧約聖書からの引用だが、もとは祖母のものだった。今、私の手元にある。祖母は「うめよ」といい、洗礼名は「アンナ」だった。私が学校にあがる前に天に召された。私をとても可愛がってくれた。一緒に風呂に入った祖母を思い出し涙した。「おばぁちゃん、私を可愛がってくれて、ありがとう」

祖母を思い、亡くなった身近な人たちを思い、そんなイブ。

どうか、このイザヤ書のような世界が、一日も早く来るように願いつつ。