読み終えた本「そして最後にヒトが残った」2015年03月27日

読み終えた本「そして最後にヒトが残った」
読み終えた本「そして最後にヒトが残った」
クライブ・フィンレイソン (著), 解説:近藤修 (その他), 上原 直子 (翻訳)
白揚社 (2013/11/9)

内容(「BOOK」データベースより)
地球に存在した20種以上の人類の仲間のなかで、なぜヒトだけが生き延びることができたのか…古人類学の第一人者が数々の新発見とともに語る壮大な人類の物語。

メモ:
p8 現生人類とネアンデルタール人が枝分かれしたのは、50万年前。

p11 私たちは、どうして生き残れたのか?それはただ、運が良かったからにすぎない。たまたま適切な時に適切な場所にいた結果だ。

p35 ジブラルタルでの人口調査。干ばつの時、普段から汚れた水を飲んでいた貧困層が生き延びた。

p55 膝を伸ばして立てるのは、ヒトとオランウータンだけ。おそらく、二足歩行は樹上で既に始まっていただろう。

p57 ゴリラ、チンパンジーのナックルウォークも進歩の一つ。

p66 ホモ・ハビリスとホモ・エレクトスは50万年同じ地域で暮らしていた。従って、ホモ・ハビリスからホモ・エレクトスへの進化は成り立たない。

p74 177万年前の、ホモ・ゲオルギクスの歯が1本しかない個体があった。歯を失った後、死の数年前まで、仲間が介護していたことをうかがわせる。

p116 各国の子供は、個人的な好みが発達する以前は、様々な生息環境の写真の中で、サバンナの写真を最も好んだ、という生物学者の実験がある。

p118 ボルネオ島のニアの洞窟には、4万年前から現生人類が暮らしていた。気候は今よりも過ごしやすいものだった。

p145 現生人類は、ホモ・エレクトスと共存していた。

p148 ネアンデルタール人には、赤毛のものも一定数いたと思われ、赤毛には白い肌がつきものだという点で、ヨーロッパのネアンデルタール人はビタミンDを合成し易かっただろう。遺伝子から、発話できた可能性がある。ネアンデルタール人と早期現生人類が13万年前に中東にいた。

p160 ネアンデルタール人の祖先といえるハイデルベルク人は、身長180cm、体重100kgの頑丈な身体で、狩りの名人であったが、寒冷・乾燥化により絶滅した。

p164 ネアンデルタール人は、4万5000年前、大陸にツンドラステップが広がると、イベリア半島、バルカン半島、クリミア半島、カフカス地方、そしてジブラルタル海峡北岸に散り散りになって生き延びた。それらはところどころに森林が残っていたからだ。その頃、ホモ・エレクトスとホモ・フロレシエンシスはまだ東南アジアで少数が生き残り、現生人類はユーラシア大陸へと進出していた。

p208 ジブラルタルのゴーラム洞窟には、ネアンデルタール人が居住していた。2万8000〜2万4000年前まで焚き火をしていた。海面は現在より80〜120mも低く、食糧は豊富だった。
筆者はネアンデルタール人のゲノムからは現生人類の遺伝情報が見つからないことから、交雑はなかったと言う立場をとっている。(その後の研究で交雑があったことが分かった--後述)

p217 中央アジアのネアンデルタール人が消えたあと、現生人類は大繁栄することになる。起源となった集団は、4万〜3万5000年前に現れた特有な遺伝子マーカーを持っていた。これにより、西(ヨーロッパ)へ拡散したのは3万年前とわかっている。

p220 3万〜2万2000年前の黒海北岸のグラヴェット文化。マンモスを狩ったのはトナカイ少ない時期。それ以前のオーリニャック文化より、芸術が高まった。

p233 グラヴェット文化人は、植物繊維で織物、かご細工、縄、おそらく網も作っていた。網でウサギを大量に捕まえていたらしい。

p235 ネアンデルタール人の体格は、気候変動によって迫られた、長距離の移動には向かなかった。

p241 最古のイヌ、ロシアのブリャンスク地方のエリセエヴィチ1号遺跡、1万7000〜1万3000年前の、シベリアンハスキーに似た二頭のイヌの頭骨が出土した。ミトコンドリアDNAからは、イヌの起源は13万5000年前かもしれないという、研究結果がある。

p245 生活様式の変化が人口を増加させ、数で圧倒した。

p258 温暖化と寒冷化を繰り返して、9000年前から氷期へ戻らなくなった。

p274 地図作成仮説と社会脳仮説。

p276 未来は予測できない。大多数の、と言うよりも、おそらく全てのデザインは、どれほど完璧に現状と適合していようとも、やがて十分に時間が過ぎれば、いつかは絶滅の恐怖に直面するものなのだ。

ジャレド・ダイヤモンドの著書(銃・病原菌・鉄」)を例にひいている。これは以前読んだ。
http://luke.asablo.jp/blog/2013/11/24/7073376(上巻)
http://luke.asablo.jp/blog/2013/12/04/7109007(下巻)

農耕民の数は、狩猟採集民の数を圧倒していただろう。

p282 非常に鋭い指摘なのでそのまま引用する。
「9000年前を過ぎて気候が安定すると,人類は,環境の変化というよりも新しい技術の発明によって,自らの勢力範囲を広げるようになった。こうして新しい技術のおかげで繁栄が約束されることがわかると,世界をどこまでも発展させられるという幻想が生まれた。発展という人類の夢が,次第に悪夢と化していくのはこの時からだ。人類の果てしない欲望は地球に危機をもたらすものと私には思えるが,今日,この問題は先送りされたままである。 私たちはどうしてこのような危険な状態におちいってしまったのだろうか? その答えは,人類が現在までたどった道をみればわかるかもしれない----私たちは進化に選ばれたスーパーヒーローというよりは,隙あらばどんな場所にでも侵入する病原菌のようにふるまってきたのだから。 人類の物語で重要だったのは,未来をてなずけることだった。だが,ここで思い出して欲しい。私たちはたしかに成功した集団として今日まで残ってきたが,これまでの暮らしをみれば,豊かな環境を独占していた集団に常に周縁部に追いやられていたのではなかったのか。私たちは,生き続けるために余り物を必死にあさるような貧しい祖先から生まれてきた。人類が進化の頂点にあると思っている人たちには不名誉に感じられるかもしれないが,それが歴史の厳然たる事実なのだ。予測できない筋書きをたどり,最終的に現在の私たちにつながった一歩一歩は,周辺部に暮らす多くのイノベーターたちによって刻まれた。その大半は途中で姿をけすことになるが,ひとつの集団は生き残って物語を伝えることができた----それが私たちなのである。」

p290 数百万年かけて作り上げられた生態と、わずか数千年に発達した現代の生活様式の間で、ミスマッチが生じてきた。

p291 では、すべての崩壊するときに生き残るのは何者なのか?歴史が示すように、それは安全地帯に住んでいる者たちではなさそうだ。
巻末の解説に,最新の研究結果が述べられている。それによると,2010年に,マックス・プランク人類進化研究所が,クロアチアから出土した3万8000年前のネアンデルタール三体分のゲノム配列を解読した結果,サハラ砂漠以南の現代アフリカ人以外の現生人類との交雑があったことがわかった。その割合は1〜4%であった。また,シベリアのデニソワ人とも交雑したことがわかった。核DNAの解析結果から,約80万4000年まえにデニソワ人とネアンデルタール人の共通祖先が現生人類と分岐し,その後にネアンデルタールとデニソワ人が約64万年前に分岐した。メラネシア人は4〜6%のゲノムがデニソワ人と共通であった。

*我々の中にも,絶滅した人類のDNAが受け継がれているのだ。

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