読み終えた本「諏訪根自子」2013年06月07日

諏訪根自子
「諏訪根自子」 美貌のヴァイオリニスト その劇的生涯 1920-2012
アルファベータ刊 2013/2/19

諏訪根自子の名だけは知っていたのだけれど,どんな人なのかは全く知らなかった。
亡命ロシア人からヴァイオリンを学び,一躍天才少女として注目を浴び,ベルギー,ドイツ,スイスと演奏旅行の日々。時は第二次世界大戦のまっただ中。
ゲッベルス宣伝相からストラディヴァリウスを贈られる。これがまた後に,悩みの種になり,その真贋も未だに未解明のまま。この楽器を保有している甥は,鑑定を拒んでいるそうで,私はそれで良いと思う。ユダヤ人から略奪した楽器だと云う人もいて,本物でも偽物でも,どちらでも問題があるかもしれない。知らない方が良いと思う。

今までは日本,中国の戦前・戦中に関わった人で,興味のある人の本を読んできたが,欧州は初めて。
こんな逸話も印象に残った。

根自子が十歳の時に来日したエフレム・ジンバリストを,師の小野アンナに連れられて帝国ホテルに訪ねている。ジンバリストの前で演奏し,欧州行きを勧められたという。(ジンバリストの息子は俳優で,テレビ映画「サンセット77」に出ていたのを良く憶えている)

渡欧した根自子はまずベルギーへ向かったが,当時のベルギー大使は来栖三郎だった。来栖の長男良は,陸軍のパイロットになるが,母は米国人で,その血を継いでか長身,目鼻立ちがはっきりした大変なハンサムだったそうで,父の赴任先であるブルュッセルを訪ねた帰り,パリに向かう列車の中で映画監督にスカウトされたそうだ。同行していた武官が「大使の令息を映画俳優になどとは無礼千万!」と一喝したそうだ。後に良の母アリスが映画「禁じられた遊び」を観たとき,あの時の名刺に「ルネ・クレマン」とあったのを思い出してため息をついた,という。
昭和十九年,福生飛行場で待機していた来栖大尉は,米軍艦載機を迎撃するため滑走路を自機に向かって走っているとき,不注意から急発進した友軍の「飛燕」のプロペラに叩かれて即死したという。
その墓には,父によって以下の言葉が刻まれているという。
In peace,sons bury their fathers. In war,fathers bury their sons.
(平時には,息子が父が葬り,戦時には,父が息子を葬る)
悲しいじゃありませんか。

こんな悲しい話もあったけれど,他にも子供の頃には良く聞いたことのある音楽家の名前が山の様に登場する。そんなことだけでも楽しめた。

昭和12年,ジョージ六世の戴冠式に向けて,朝日新聞社が神風号で「亜欧連絡飛行記録」に挑戦し,見事最短記録を打ち立てる。その祝賀親善飛行でパリからベルギーに飛んだ神風号をベルギーで出迎えた人の中に,渡欧中の根自子がいた。神風号の話は聞き知っていたが,ここにも根自子が関係していた。そんな時代だったのだ。

この時代,パリには藤田嗣治,岡本太郎,俳優の早川雪洲等がいた。交換留学の期限が切れた根自子は,師のカミンスキーを追ってパリへ。留学費用を負担してくれたのは,大倉財閥の大倉喜七郎男爵だった。パリではケンプ,ルービンシュタイン,コルトー,ホロヴィッツというピアニスト達が活躍。ジャン・フルネ指揮で演奏会。
ベルリンではクナッパーツブッシュ指揮でベルリンフィルと協演。

結婚してからは一主婦として元外交官の夫に仕え,演奏活動からは全く離れたが,夫の死後,還暦を過ぎてから,バッハの無伴奏ソナタとパルティータ全曲を録音として残した。

[目次]
第1章 天才少女
第2章 ブリュッセルに二年、パリに六年
第3章 戦雲の下で
第4章 花形ソリスト
第5章 近道なき道
第6章 バッハ、無伴奏ソナタとパルティータ

この本が出てから,CDも発売され,またNHKに全盛期の録音が残っていたことが報道された。根自子の演奏はAmazonなどで試聴できる。
生前にこの本が出なかったことが惜しまれる。