ソメイヨシノが開花 ― 2006年03月23日
横須賀・通研通りのソメイヨシノが開花しました。
そぼ降る雨の中でしたが。
1本だけ、まだ幼木のピンクの桜が満開でしたが、後から植えた品種が間違っていたのでしょうか。おそらくエドヒガンの様に思えました。
中学近くにも、何本かオオシマザクラが混じっています。苗木で判断するのは難しいのか、先祖返りなのか。
通勤途上で写真は撮れず・・
そぼ降る雨の中でしたが。
1本だけ、まだ幼木のピンクの桜が満開でしたが、後から植えた品種が間違っていたのでしょうか。おそらくエドヒガンの様に思えました。
中学近くにも、何本かオオシマザクラが混じっています。苗木で判断するのは難しいのか、先祖返りなのか。
通勤途上で写真は撮れず・・
盗蜜 ― 2006年03月29日
今日は千葉へ出張。新京成の三咲。行くだけで2時間半はかかる。
割合早く仕事は済んで、もう一件寄るのは、家内の実家のすぐ裏にある、特殊な工具を製作する会社。アポなしだったので、あいにく社長は留守。図面を渡し、見積もり希望を伝えて辞し、家内の実家に、ちょっとだけ顔を出してきた。
実家に向かう道の桜並木は五分咲きか。歩道には沢山の花が落ちている。よく見ると花びらではなく、花柄の上部、花托と呼ばれる部分からちぎれている。五分咲きでは花びらはまだ散らない。
これは鳥の仕業。スズメが花をこのようにして千切り、中の蜜を吸うことは知られているが、しばらく観察していたが、3羽のスズメは花を散らさなかった。ヒヨドリが1羽、飛び立った後に、花が落ちてきたが、歩道にびっしりと落ちている花が、すべてヒヨドリの仕業かどうかは、わからなかった。
メジロは顔を花に突っ込んで蜜を吸うため、そのような花の受粉には役立つが、花の構造そのものを破壊するこの様な行動は「盗蜜」と呼ばれ、受粉の役には全く立たない、花にとっては困った行動なのである。いつから、この様なことを身につけたのだろうか。
同様なことは、クマバチがアベリアの花に対して行うもので、横から穴を空けて蜜を盗む。これも受粉の役には立たない。
割合早く仕事は済んで、もう一件寄るのは、家内の実家のすぐ裏にある、特殊な工具を製作する会社。アポなしだったので、あいにく社長は留守。図面を渡し、見積もり希望を伝えて辞し、家内の実家に、ちょっとだけ顔を出してきた。
実家に向かう道の桜並木は五分咲きか。歩道には沢山の花が落ちている。よく見ると花びらではなく、花柄の上部、花托と呼ばれる部分からちぎれている。五分咲きでは花びらはまだ散らない。
これは鳥の仕業。スズメが花をこのようにして千切り、中の蜜を吸うことは知られているが、しばらく観察していたが、3羽のスズメは花を散らさなかった。ヒヨドリが1羽、飛び立った後に、花が落ちてきたが、歩道にびっしりと落ちている花が、すべてヒヨドリの仕業かどうかは、わからなかった。
メジロは顔を花に突っ込んで蜜を吸うため、そのような花の受粉には役立つが、花の構造そのものを破壊するこの様な行動は「盗蜜」と呼ばれ、受粉の役には全く立たない、花にとっては困った行動なのである。いつから、この様なことを身につけたのだろうか。
同様なことは、クマバチがアベリアの花に対して行うもので、横から穴を空けて蜜を盗む。これも受粉の役には立たない。
藤田のネコ ― 2006年03月30日
有給休暇を取って、午前中にパスポートを受け取りに家内と横浜へ。3月20日前に申請したので、旧型のパスポート。家内によると申請の時もがらがら。というわけで、受け取りもがらがらで、数分で済んだ。
渋谷へ出て、半蔵門線で九段下、東西線に乗り換えて竹橋。国立近代美術館の「藤田嗣治展」へ。初日は三千人もの来場者だったそうだが、こちらも並ばずにあっけないほど。空いているので、余裕を持って鑑賞。
藤田はよほどネコが好きと見えて、お気に入りの歯が一本見えているネコは、しばしば他の作品にも登場する。眼の上の感覚毛を白く細く描いていいるものがあったが、乳白色の下地が見える様に削り取ったものだろうか。細密さには驚嘆するものがある。小物へのこだわりも尋常ではない。
戦争画は実物を初めて観た。あの時代、著名な画家とはいえ、これを拒否することは死を意味したかもしれない。戦後、日本に見捨てられたとして渡仏、帰化したことを誰が責められようか。
裸婦も素晴らしかったが、晩年のフレスコ画を含む宗教画、子供らの絵に、魂の安らぎを見いだしたのだろうか。
常設展も一通り観てから、千鳥ヶ淵をちらっと観たが、夕方の寒さに耐えられず、横浜へ。一杯飲んで帰宅。
渋谷へ出て、半蔵門線で九段下、東西線に乗り換えて竹橋。国立近代美術館の「藤田嗣治展」へ。初日は三千人もの来場者だったそうだが、こちらも並ばずにあっけないほど。空いているので、余裕を持って鑑賞。
藤田はよほどネコが好きと見えて、お気に入りの歯が一本見えているネコは、しばしば他の作品にも登場する。眼の上の感覚毛を白く細く描いていいるものがあったが、乳白色の下地が見える様に削り取ったものだろうか。細密さには驚嘆するものがある。小物へのこだわりも尋常ではない。
戦争画は実物を初めて観た。あの時代、著名な画家とはいえ、これを拒否することは死を意味したかもしれない。戦後、日本に見捨てられたとして渡仏、帰化したことを誰が責められようか。
裸婦も素晴らしかったが、晩年のフレスコ画を含む宗教画、子供らの絵に、魂の安らぎを見いだしたのだろうか。
常設展も一通り観てから、千鳥ヶ淵をちらっと観たが、夕方の寒さに耐えられず、横浜へ。一杯飲んで帰宅。
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